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かっぱぎゲームの末路【きまぐれエッセイ】

人間の欲望は果てしなく広がり続ける砂漠のようだ。人の分まで奪い取ってはお山を築き上げる。けれど、そのお山もやがて平地になる。これは、ゼロサムゲームの真理だ。誰かが得をするためには、必ず誰かが損をする。奪い奪われる果てしない無限ループ。
かっぱぎゲームの渦中にいると、過剰に多くを得ようとする欲望がどこかで破綻するのは避けられない。いつか、その代償を払わなければならない時が来る。

損することを恐れて生きる人々は、常に何かをかっぱごうと考えている。失うまいと必死になって握りしめたものが、かえって指の間からこぼれ落ちる。失うことを避けようとするその行為こそが、実は失う原因となっているのだ。

そもそも、天地一切万物は同じ道(タオ)から生じたものであり、そこに上下や貴賤の差別は本来存在しないはずだ。貴い人は、柔和で謙虚な態度を保ちながら、他者を価値のないものとは見なさない。奪おうとする心がないからこそ、失うことにも心を奪われない。与えることに喜びを見出し、自分の役割を全うしようとする。その姿勢が、貴いポジションをキープする秘訣である。

古い戒めにもあるではないか。「力にまかせて無理押しをする乱暴者、凶暴な者はロクな死に方をしない。」と。歴史が教える通り、強欲で乱暴な者は、最終的にその強さが自分を滅ぼすことになる。

例えば、ある村の中で一人の男があこぎな商売で村人たちの財産を奪って豪邸を建てたとしよう。その男は一時的に村の王様気分を味わうだろう。しかし、その欲望が満たされることはなく、次第に村人たちの恨みを買う。やがて男の豪邸は襲撃され、彼はすべてを失う。村人たちはその後、協力し合って再び平和な生活を取り戻す。この話は、まさに「奪う者は最終的に奪われる」という教訓を象徴している。

人間社会の歴史を振り返ると、同じ道理が何度も繰り返されている。現代においても、個人が自己の利益のみを追求する社会では、持続的な幸福は得られないことが明らかである。大切なのは、奪うことではなく、与えること。真の幸福は、他者との共生と協力によって生まれるのだ。


道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず。
万物は陰を負うて陽を抱き、冲気、以て和することを為す。
人の悪む所は、唯だ孤寡不穀、而も王公は以て称と為す。
故に物は或に之を損して益し、或に之を益して損す。
人の教うる所は、我れも亦た之を教えん。
強梁者は、其の死を得ず。
吾れ将に以て教えの父と為さんとす。
[老子:第四十二章道化]


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