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単純に考える【きまぐれエッセイ】

たとえば、上手く行っている(カネも余裕もある)人が友人を助けることはたやすいが、貧乏に喘いでいる人が自分のことはさておいて大変な状況にある友人のことを案じ手を差し伸べることは稀である。
しかし、大変なときこそその人の本性が現れるものである。

人生の晴れの日も雨の日も嵐の時も変らない態度で居る人こそ道(タオ)の人なのである。

降っても晴れてもそれが人生、人生に雨の日もあれば晴れの日があるのは当然なのである。

ことさらな仕掛けや権謀を働かなくても、無為・無心・無欲で自然の順序にしたがっていけば為るものは為る。
だから、為らないものを為るようにしようとすることに無理がある。

人生はいたってシンプル。ややこしいことはない。
モノゴトはシンプルに考えるとうまくいく。

ややこしく難しくしているのは誰なのか。
誰のせいでもない。

自分自身である。


事の初めにおいて慎むことが、終わりを全くする捷径であり、便道であることを述べている。

[諸橋轍次]

其の安きは持し易く、其の未だ兆さざるは謀り易く、其の脆きは破り易く、其の微なるは散らし易し。
之を未だ有らざるに為し、之を未だ乱れざるに治む。
合抱の木は、毫末に生じ、九層の台は、累土に起こり、千里の行は、足下に始まる。
為す者は之を敗り、執る者は之を失う。
是を以て聖人は、為すこと無し、故に敗るること無し。
執ること無し、故に失うこと無し。
民の事に従うや、常に幾んど成らんとするに於いて之を敗る。
終わりを慎むこと始めの如くんば、則ち事を敗ること無し。
是を以て聖人は、欲せざるを欲して、得難きの貨を貴ばず、学ばざるを学んで、衆人の過つ所を復し、以て万物の自然を輔けて敢えて為さず。
[老子:第六十四章守微]


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