自分、不器用ですから【きまぐれエッセイ】
一本スジが通っておる者、そんな人間は滅多に騒がない。
無骨で朴訥で、無口で静かにしている。青い静けさをその身にまとい、まるで深い海の底のように、じっと息を潜めている。
子供の頃、近所の大工さんがまさにそのタイプだった。大きな手に持つノコギリが、カシャン、カシャンと木を切り分ける音だけが響く。その音すら、何か静けさの一部に感じられたものだ。彼の作業場に近づくと、不思議と心が落ち着いた。
世の中は、どこかねじくれている。あちこちで、人々は騒ぎ、争い、声を張り上げている。しかし、そんな中で静かに佇む者たちがいる。彼らは、世の中のねじくれを正していく存在なのだ。
一本スジが通った者たちの静かな力。それは、日々の喧騒の中で、確かに存在している。騒がずとも、その存在は輝いているのだ。静けさの中にこそ、真の強さが宿っている。あたしは、そんな彼らの姿を見て、心から尊敬する。そういう者こそ世の中のねじくれを正していくものなのだ。
自分、不器用ですから。
大成は欠けたるが若く、其の用、弊れず。
大盈は冲しきが若く、其の用、窮まらず。
大直は屈するが若く、大功は拙なるが若く、大弁は訥なるが若し。
躁は寒に勝ち、勢は熱に勝つ。
清静にして天下の正と為る。
[老子:第四十五章洪徳]
常日頃から並々ならぬお心遣いをいただき感謝いたします。これからも変わらぬお引き立てのほど、よろしくお願い申し上げます。