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沈黙のすゝめ~希言自然【きまぐれエッセイ】
雄弁は銀、沈黙は金
雄弁は大事であるが、沈黙すべき時や、その効果を心得ているのはさらに大事である。沈黙を守るほうがすぐれた弁舌よりも効果的である場合もある。
『希言』
道(タオ)の世界は言葉なき言葉、その声なき声が『自然』のありさまである。世俗の饒舌な言葉は虚飾に満ちている。
言葉を惜しみ無理に発言せぬのが自然というもの。
人の患えは好みて人の師となるに在り
人の欲望の中で、しゃべくる欲望というのがこれまた始末の悪いもの。
人のとかくおちいりがちな悪い癖は、それほどの学徳や技量もないのに、人の先生になりたがることである。
むやみに先生になりたがるのは、しゃべくる欲望があるからである。
しゃべらないのが自然の道。
台風や大雨のように、大自然のわざでも永く続かないのだから、人間が無理をした不自然な行為が永く続くわけがない。
何か事を為すときには、無理をしないほうがよい。
無理をすれば、どこかに必ずひずみが出てくる。
ところでその無理の生じないためには相手と力の均衡を保つようにする。
たとえば、相手が三の力で押してきたらこちらも三の力で押し返す。
ボケたらツッこむ、オヤジギャグをきいたらとりあえず笑っとく。
相手と同じだけの道を以てこれと対応するがよい。
自然な行為には、自然な反応がある。
不自然な真実性のない行為には、相手も同様な反応をする。
真実さが足らねば相手も真実で応じない。
相手と均衡を保つのが、人間の信義である。
[老子第23章:希言自然]
常日頃から並々ならぬお心遣いをいただき感謝いたします。これからも変わらぬお引き立てのほど、よろしくお願い申し上げます。