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必死になってリラックスする人たち【きまぐれエッセイ】

生きとし生けるものは生まれた瞬間から死に向かう運命にある。人間が生まれると、その一生の間に様々なドラマが繰り広げられる。そんなドラマのなかでも、死生のタイプを大きく三つに分けてみようかと思う。

ひとつめは、寿命を全うし生き延びるタイプ。こういう人たちは、こだわりがなく、柔弱でココロもやわらかく、そして素直だ。必死さがないから、物事は思ったように進み、勝ち負けに拘わらずとも勝利必至。のほほんと生きることの大切さを知っている彼らは、世の中の荒波にもさらわれることなく、穏やかに日々を過ごす。

ふたつめは、自ら寿命を縮め死に急ぐタイプ。勝てないとわかっていても戦いを挑むような人だ。敵などどこにもいないのに、戦っていないと気持ちが落ち着かないらしく、いつも揉め事が起きている(起こしている)。生きることは戦いだ、と思い込み、攻撃の対象を潜在的に求めてさまよい歩く。この人の半径5km圏内には誰も近寄らない。なかには親切に解毒剤を与えようとする人もいるが、暴れるので手がつけられない。結局自分の出した毒ガスを吸って、苦しみもがきながら死に急ぐ。

問題はみっつめのタイプ。生きようとあせってかえって死地に飛び込む人だ。ハートではなくアタマで生きている。いつも作為策略をめぐらし、いかに生き延びるかを考える。当人にとってはそれが生き延びる智恵だと思っているが、それは小賢しく、わざとらしく、心のこもっていないことなので実体がない。相対差別の世界の住人だからアタマが固く、ココロも固い。右か左か、白か黒か、良いか悪いか、いつも二つに分断しないと気が済まない。どちらかを選ばなければならないという強迫観念があるから、どちらにしようかなかめさまの言うとおり……なすのへっぽこすっぽんぽん、で日が暮れる。迷いに迷って、結局は死地に赴いてしまう。

こんな風に、【必死になって】リラックスしようとするような、悲しくも可笑しく哀れな人の姿が目に浮かぶ。

結局、無欲無心で恬淡として死生に執着しないのが理想の養生摂生である。初めから生きようとしない者には、死の入り込む余地がないのだ。

いきとしいけるものがしあわせでありますように(祈)


生を出でて死に入る。
生の徒、十に三有り。死の徒、十に三有り。
人の生、動いて死地に之く。亦た十に三有り。
夫れ何の故ぞ、其の生を生とするの厚きを以てなり。
蓋し聞く、善く生を摂する者は、陸に行いて*兕虎に遇わず、軍に入って甲兵を被ず。
兕も其の角を投ずる所無く、虎も其の爪を措く所無く、兵も其の刃を容るる所無し、と。
夫れ何の故ぞ。其の死地無きを以てなり。
[老子:第五十章貴生]


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