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嗇(ものおしみ)の徳【きまぐれエッセイ】

精力善用・自他共栄――これぞやわらの道の二大原理。
そして、この二つの原理が指し示すもの、それが「嗇」の道。嗇というのは、無駄な精力を使わず、慎ましやかに生きること。これが長久の秘訣だという。

国家の最大の無駄遣いとは何か?
それは戦争である。戦争ほど無意味な浪費はない。何も得ることなく、ただ失うばかりだ。命も財産も、そして人々の希望や夢さえも、戦争の中で燃え尽きてしまう。

一方、個人においての無駄遣いは何か?
それは、過去の出来事にクヨクヨしたり、まだ起こってもいない未来を心配したりすること。これらは全てエネルギーの無駄遣いだ。
過去に囚われていると、今を生きる力を失う。未来を心配してばかりいると、現在を楽しむ余裕がなくなる。そういう無駄を省けば、自然と余分な労力を用いずとも、事は成るのだ。

ただし、ここで勘違いしてはいけないのは、嗇の道は決してケチンボの道ではないということ。ケチンボは自分の利益だけを考えるが、嗇は無駄を省きつつも他者を思いやる。これが徳の道である。

為政者が徳を積めば、国家は安泰長久である。無駄を省き、人民のために尽くすことができれば、その国は繁栄する。経営などの実務レベルでも同じことが言える。無駄を省き、能率的な仕事環境を構築すれば、社員一人一人が持てる力を最大限に発揮できる。これこそが、嗇の道が示す真の意味であり、長久の秘訣なのだ。

嗇の道は決して狭い道ではない。それは、広く深い愛と智慧の道。無駄を省き、精力善用することで、自他共栄の理想が実現するのだ。嗇の道を歩むことは、ただ単に節約するだけではなく、真の豊かさを追求することなのだ。


政治のやり方と養生のし方とをあわせて説いたもので、その方法が精力を無駄遣いせぬ嗇の道に存することを述べている。

[諸橋轍次]

人を治め天に事うるは、嗇に若くは莫し。
夫れ唯だ嗇、是れを早服と謂う。
早く服する、之を重積徳と謂う。
重ねて徳を積めば則ち克たざる無し。
克たざる無ければ則ち其の極を知る莫く、
其の極を知る莫ければ、以て国を有つべし。
国を有つの母は、以て長久なるべし。
是れを深根固柢、長生久視の道と謂う。
[老子:第五十九章守道]


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