物事に動じない心の鍛え方『八風吹けども動ぜず』の極意【きまぐれエッセイ】
さて、『八風吹けども動ぜず』の精神、これが人間にとっていかに重要か、つらつらと考えてみたわけよ。風が吹こうが嵐が来ようが、心の奥底ではどっしり構えていたいものだ。って、あたしも偉そうに言っちゃってるけど、正直なところ、昇給やら昇進やらで浮かれたり、降格やらリストラの恐怖にびくびくしたり、そんな経験、あたしにだってあるんだよね。
まあ、ちょっとエキセントリックな感じで語ってみるとさ、生活の波に揉まれては、心が休まるときなんてほんとにないんだよ。朝起きて、ニュース見て、今日も何かしら事件が起きてる。株価が下がったとか、上がったとか、気にしたってしょうがないんだけど、気になるもんは気になるわけ。で、そのたびに「おお、またかよ」とか「やったぜ」とか、感情の起伏が忙しい。
だけど、ちょっと考えてみてよ。そういう上辺だけの出来事に、一喜一憂してるって、ほんとに意味ある?
うれしいことも悲しいことも、結局はあたしという存在があってのことだってことを、すっかり忘れちゃってるんだよね。生命あっての物種っていうけど、ほんとその通り。あたしの存在があって初めて、いろんな出来事が意味を持つわけで。
でも現実には、多くの人が名誉や利益に心を奪われてる。それを得るために、みんな一生懸命働いてる。でも、それで心も体もすり減らしちゃって、結局何を得てるんだろう。名誉や利益っていうのは、あたしがいてこそのものなんだ。あたしが消えちゃったら、何の意味もないのに、なんでみんなそんなに必死なんだろうね。
名誉を追い求めるのも、利益を追い求めるのも悪いことじゃないけど、あたしの存在をおろそかにしてまで追い求めるもんじゃないよね。あたしの存在を大切にしながら、心の平静を保って、淡々と生きていくのが、本当の意味で豊かな生き方なんじゃないかな。
この世の中、いろんな風が吹くけど、心の中ではどっしりと構えて、自分の存在を尊重しながら生きていきたいもんだよ。あたしはそう思う。
[老子第13章:寵辱若驚]
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