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ゲーム機バブルの時代

前回ゲーム会社の成り立ちを考えてみた。今回はその後の話である。
1990年ゲーム会社各社が参入したのはスーパーファミコン市場だった。ファミコンの後継機スーパーファミコンには、サードパーティー(ファーストパーティーはゲーム機メーカー、セカンドパーティーはゲーム機メーカーのゲームを開発する会社)と呼ばれるゲーム会社のほとんどが参入している。
 
1993年ソニーとソニー・ミュージックエンタテインメントの共同出資でソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)が設立された。電機メーカーと音楽事業会社によるゲームビジネスへの進出だ。この会社は、翌年プレイステーションを発売する。ソニー・グループはそれまでゲームビジネスの経験がなかったため、当時ゲーム業界ではプレイステーションは成功しないだろうという意見が多かった。
 
この新しいゲーム機向けにゲーム会社に参入依頼するサードパーティー営業は、プレイステーションがセガサターンと発売が同時期になりそうな状況だったので、交渉が大変だったようだ。セガのサードパーティー担当からSCEのサードパーティー担当に転職した小林さんからそう聞いたことがある。彼は、その後『みんなのGOLF』のプロデューサーになった。
 
SCEは新規のゲームビジネス参入だったが、プレイステーションが普及すると、このゲーム機用にゲームを開発・販売する会社が新たに参入した。その中には、新規に設立した会社や業種転換してゲーム会社になった会社もあったが、大半はすでにファミコン、スーパーファミコンでゲームを開発・販売していた会社だった。
 
プレイステーションが発売された1994年の3月松下電器が3DOを発売した。これはゲーム機というよりはマルチメディア機だった。1993年に富士通が発売したFM TOWNS マーティー、1996年にバンダイが発売したMac OSを搭載したピピンアットマークも同様である。
どれもゲームやゲーム的な要素を入れたソフトをラインナップに入れ、売上を上げようと考えたが、結局中途半端な機器になってしまい市場から撤退した。
 
1990年代になるとコンピュータ技術が向上した。とくにCGのグレイドアップはめざましく、映画やゲームにはそれが顕著に反映された。コンテンツビジネスに新しい革新が起こるのではないかという漠然とした期待感をメディアがあおり、家電、コンピュータ業界を中心にマルチメディアブームが起こった。
こうした業界の会社を当時数社訪問したことがあるが、各社マルチメディア部が新設されていたので、マルチメディアがブームになっていることを実感した。
 
ゲームこそがマルチメディアだというメディアもあった。マルチメディアとゲームを混同していた人もいた。ブームがしばらく続いたのは、プレイステーションとセガサターンが売れて話題になったからだろう。
このほかにも1990年代はNEOGEO、メガCD、PC-FX、NINTENDO64、バーチャルボーイなどのゲーム機、前述のようにゲームもできるマルチメディア機が続々と発売された。今振り返ってみると、ゲーム機のバブル時代だったのではないかと思う。

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