読書家と呼ばれる基準
川口市出身の自称読書家 川口竜也です!
私自身、人並み以上には本を読んでいるという自負はあるものの、読書会で圧倒的な読書量がある人や教養に深い人にお会いすると、自分の読書量なんてまだまだだなと思う。
ところで、読書家と自負するにはどれくらいの本を読めばいいのだろうか。
そもそも読書家というものに明確な定義はない。月何冊以上読むことが義務付けられているとか、一定の研修を経ているとか、資格や検定を取得している必要はない(読書家の研修はちょっと面白そうだが)。
すると読書家の基準というものは、絶対評価ではなく相対評価で決まるものだろう。他の人よりもどれくらい本を読んでいるかによって、あの人は読書家なんだなと考えられるのだろう。
先日Youtubeを見ている間に、「漫画含めずに、1ヶ月どのくらい本読む?」というアンケートがあった。このデータからすると、月に3冊以上読むだけで、上位10%に入れることが見受けられる。
Youtubeでアンケートを取っているため、年齢の偏りもあるだろうし、若干本を読まない人が多い傾向が思案されるものの、それでも本を1冊も読まない方が約3人に2人いるのは驚きである。
それを踏まえると、月1冊しか読めないとぼやくのではなく、月1冊も本を読んでいると胸を張っていいのだろう。月3冊(週に1冊ペースで)読めるようになれば、それなりに読書家と語ってもよかろう。
もっとも6冊以上の方には「小説を1日1冊ペースで読む」人もいるし、0冊であっても「漫画を含めれば年間200冊以上は読んでいる」人もいる。
上を見たら切りがない。むしろ、数字にこだわりすぎると、基準を満たすための読書になってしまう可能性もある。
例えば、月10冊読むための本を読むのは、間違いではないが、ちょっと不自然である。
もっとも、読書をはじめたての人ならば、まず目標にするのもいいだろう。最初は月1冊、来月は2冊と基準を高めていくのもいい。
だが、いつまでも目標をこなすために読書するのは、単純に本好きではなく義務感で本を読んでいるだけに過ぎないのではなかろうか。
本が好きならば、誰がなんと言おうと本を読むし、その段階になれば目標や基準などなくても本を読んでいる。
そもそも読書家の称号が与えられたところで、メリットがあるわけでもない。いや、別に与えられるものでもないのだが。
つまるところ、ここまで色々考えてみたけれども、本が好きならば読書家と名乗っていいはずだし、読む本数に関わらず、本好きは本好きであることに変わりない。
むしろこういう基準があるから、読書に対するハードルを上げてしまうのだろうなと、書いた後にちょっと反省する。楽しく本を読むのが一番である。それではまた次回!
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