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「男だったら泣くな」という違和感
先日の東京読書倶楽部の読書会にて、グレイソン・ペリーの「男らしさの終焉」を紹介された際のこと。
男性にも『傷ついていい権利』や『弱さを認める権利』が浸透しつつあるため、徐々に「男だったら泣いてはいけない」という考え方もなくなるのではないかと語っていた。
そういう「男らしさ」云々の背景や経緯は置いておいて、「男だったら泣くな」と親に言われて育った人も多いとは思われる。
私自身、言われたことがあったか記憶が定かではないが、少なくとも「男なら泣くな」という考え方は、何かしら固定観念として定着しているところがある。
まぁこういう男ってカッコいいよね、という感覚は分からんでもない。「カッコいいとは、こういうことさ」みたいや、渋さやダンディーさには憧れる。
その内の一つに「男は涙を見せない」的な考え方がある。男というものは、簡単に自分の弱いところを見せつけるものではないと。
そういう人のことをカッコいいと思う反面、個人的には引っかかるところもある。
具体的には、「感動して泣くこと」と「弱さを認めて泣くこと(人前で泣くこと)」の違いが、私にはよく分からない。
だって、どちらの場合においても、心が揺さぶられたことに代わりないではないか。
あまり大っぴらに言うものでもないかもしれないが、悲しいことや、嫌なことがあると、私はすぐ泣いてしまう。
会社で上司や先輩に怒られて、目頭が熱くなることはしょっちゅうだし、それこそ目の前で泣いたこともある。
先日、会社の先輩方と飲んでいたときも、先輩の苦労話を聞いて、思わず泣いてしまったこともある。自分だったら立ち直れないって思っちゃって。
映画や物語を紐解いている時にも泣いちゃう人。町田そのこさんの「52ヘルツのクジラたち」を読んで(あるいは映画で観て)いた時は、赤子のように泣いていた。
そんな性格だからか、「男だから泣いちゃいけない」という固定観念に対して、こういう場合は泣いて良いよっていう、その尺度がよく分からない。
多分だけれども、私が小学校時代の記憶をそのまま引き継いでいるからだと思う。
小学校時代は、それはそれは引っ込み思案で、よくクラスの強気な女の子と言い争いになっては、泣いてばかりいた。
クラス展示とかでみんなの前で発表するのとかも、恥ずかしくて嫌だったし、この場を泣いて切り抜けないかって魂胆も、無きにしも非ずだった。
(本当、今思うとよく読書会の主催なんてやれているなって思うね)。
恐らくだけど、仕事のミスとかで叱られて泣くことは、自分の至らなさを認めること(自分事)で、映画で泣くことは、他人事だから違うってことなのだろう。
でも、映画を観て泣くことと、仕事で起こられて泣くことは、別の話だと言う人もいるけれども、どちらも自分の弱いところに触れられたからではないかっても思う。
映画の主人公が辛い目にあっているときに、自分だったらどう思うだろうか、それを考えたときに泣いてしまう。
会社の先輩の過去の話を伺っているときもそう。自分だったら立ち直れないなって思い、泣いてしまったのだが、それだって自分の弱さを認めていることではないか。
つまり何が言いたいのかと言うと、いずれにしても、泣くことは心の弱さを認めることなのだから、両者は別物だっていう論が、いまいちよく分からないんですよってお話。
別に「男でも泣いてもいい」とか、「性別関係なしに、私らしく」とかを言いたいわけではないのだが、何かこう、引っかかっちゃったのよね。それではまた次回!
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