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読書会は「気持ち悪い」って本当?

川口市出身の自称読書家 川口竜也です!

検索エンジンで”読書会”と打ち込むと、候補の中に「読書会 気持ち 悪い」というものが現れる。

私自身、何度か他所の読書会にも参加してきましたが、流石に気持ち悪いとまでは行かないですが、どことなく「この読書会は違和を感じる」ことは、無きにしもあらずです。

今回は、こういう読書会は「気持ち悪い」と思われてしまうのだろうなという要因について、いくつか考えてみました。

※ あくまでも個人的な意見です。


読書会が「気持ち悪い」と思われる要因

意識の高い読書家が集まっている

とある読書会に参加した時。小説を紹介したら、他の参加者がほとんど自己啓発やビジネス系の本を持ってきており、どこか浮いてしまった気分になったことがある。

多少バラツキがあれば気にならないけれども、リピーターと思われる人が、経済系の本ばかり持って来れられると、あぁここはこういう意識の高い感じの読書会なんだなぁと思ってしまう。

一番嫌だったなぁと思ったのは、グループごとにまとめ役みたいな人がいて、地頭力の良い人物が、毎回要約して終わらせようとするやつ。

もちろん、ビジネス書が悪いというわけではなくて、何と言うか、本を自己実現の手段と捉えている人と、娯楽や趣味で本を読んでいる人とでは、波長が合わないだけだと思う。

主催者等へ尊敬が強い参加者がいる

リピーターとして毎回読書会に参加する人の中には、やたらと主催者に対して尊敬の念みたいのが強い人がいる。

一回遭遇したケースで言うと、私は〇〇さんがやってみたらと言われたのきっかけに読書会をはじめて~と語りだして、その紹介された人がしゃべりだすと、揃いも揃ってその人の言葉に耳を傾けていた。

何と言うか、キリストの「最後の晩餐」のような印象。主催者という中心人物に対して、何人も人が集まっている感じ。

もちろん、誰々さんの読書会だから行きたいんですよってのは嬉しいけれども、主催者に対してイエスマンが過ぎると、傍から見たら違和を感じてしまう。

読書会前後のプレゼンが長い

読書会の流れを説明するならまだしも、なぜ読書会をするべきなのか、人生100年時代を見据えた云々が始まると、個人的にはうんざりしてしまう。

だから本の話をしたくて参加したのであって、プレゼンを聞きに来たんじゃないんだってのに。

あと個人的には、自己紹介の時間がやたらと長いのも嫌。本の話がしたくて参加しているのに、仕事の話とかしたくない。そもそも本を読んで考えたことに、その人の職業は関係ないわけで。

最悪、プレゼンの内容が毎回違うなら良いけれども、同じ話を繰り返すのって、それこそ”非効率”では?と思ってしまうのは、私だけだろうか。

主催者が同じ本しか持ってこない

何度か同じ読書会に参加しているうちに、この主催者は紹介する本のパターンが3つくらいしかないんか?ということもある。

まぁ読書会には「おすすめの本」や「これまでに読んで面白かった本」を持参するものだから、その本が余程面白いのかもしれない。

だが、毎回同じ本を紹介していると、「この人はその本以外読んでないんじゃないか…?」という違和を覚える。

ここまで全て個人的な意見ということを踏まえて、読書会の主催者たるもの、主催者は本読みであるべきだと思っている。

参加する度に同じ本の紹介をされるってのは、長いプレゼン同様に面白くない。と言うか、本読みであるならば、同じ本を持っていく事自体ナンセンスではなかろうか。

終わりに

とまあ色々書いてみたけれども、正直自分が主催している読書会でこういう事になっていないか、気持ち悪いと思われてないか、気が気でないです。

参加して頂いた方々には、楽しんでいただくよう努めてはいますが、やはり一度参加して以来顔をお見かけしていない人も少なくありません。

でも、その方が他の読書会に参加して常連になっているであれば、それはそれで嬉しいですし、何より自分に合った居場所でコミュニケーションを取れるのが一番だと考えております。

そんな場所になれればと、神保町で読書会を主催してますので、ご興味ございましたら是非参加していただければと思います。

皆様とお話できるのを、心よりお待ちしております。

今日もお読みいただきありがとうございました。いただいたサポートは、東京読書倶楽部の運営費に使わせていただきます。