見出し画像

私の嫌いな読書会

川口市出身の自称読書家 川口竜也です!

先日、月一で来て下さるリピーター様から「やっぱり川口さんの読書会は他の所より面白い」と嬉しい言葉を頂いた。会の回し方が絶妙であると。

私は読書会の締めの言葉で、是非他の読書会にも参加してくださいとお伝えしている。自分の読書会が正解とも思ってないし、何より世界を広げることが楽しいからと。

私も時には人様の読書会に顔を出している。良い点があれば、真似して取り入れている。

当然、こういう読書会は嫌だなぁと思ってしまう会もある。差別化という意味もあるし、単純に自分が楽しめる会をするために、嫌なものは真似しないようにしている。

大分ぼやきにはなるが、私が嫌いな読書会を列挙する。

なお、あくまでも主観です。悪しからず。

① 話す時間が限られている

読書会中、ストップウォッチやタイマーで時間を測るタイプがある。

どうやら人の話を集中して聞けるのは「3分」が限界らしい。そのため3分以内に要点を簡潔にまとめてくれと言う。

確かに、人に本を紹介する会ならば、時間を決めるのは効果的であろう。ただ、私は本の話がしたいのであって、本のプレゼンがしたいのではない。

大体、本の話ならいくらでもできる。集中して聞けないとかでなく、ただ単に本への興味が無いだけではないか。

② 前説が長い

読書会の前に、やたらと雑談やプレゼンが長いタイプがある。

そもそも読書会に来たのに、なぜプレゼンを聞かねばならないのか。主催者の情報とか今後の社会情勢とか、ビジネスの話を聞きに来たつもりは微塵もない。

大体プレゼンが30分近くあって、実際に読書会で話すのは3分っておかしくない?

別に人生100年時代だから読書会をしているわけでもなく、自己価値を高めることを軸に読書会をしているわけではない。

もっとも、その主催者の意図があるから、一概に悪いとは言えないのだが。どうであろうか。

③ 身内同士で盛り上がっている

参加者がいつもの人しかいない、毎回同じ人ばかりで開催している読書会も嫌だ。

リピーターが多いこと自体は良いことだと思う。ただ、折角新規の人が来ているのに、リピーター同士で盛り上がっているのはいかがなものか。

その上、毎回同じような本ばかり持ってくるのはどうかと思う。例えば、みんなビジネス書持ってきたら、小説を持ってきた人が疎外感を覚えてしまう。

別にビジネス書が悪いわけではないが、毎回同じような本の話で楽しいのだろうか。プレゼンも然り。

ただ、私の会でさえ、徐々にリピーターのみの会も増えている。新規の人も安心して楽しんでもらえるように努めている。

④ 無音

せめてBGMの一つくらいはかけてほしい。無音の読書会は、眠くなる。

2時間半近く無音の読書会に参加したときは、疲れてたのもあるが、正直眠くて仕方がなかった。

あと、聞き手がリアクションしないのも苦手である。全く反応がないと、自分の言葉が届いてないのではと、不安になってしまう。

私の読書会では(大人として)リアクションを取ってくださいと促している。真顔で6人くらいから見つめられたら、流石に誰しも話すのをためらってしまう。

せめて主催者くらいは、うんうんうなずいてくれれば良いのにと、寝惚け眼で眺めていた。

⑤ 主催がイキる

何が一番嫌って、主催が何でも知っている風なのが嫌。自分の知っている話題に持ち込んだり、紹介者を差し置いて解説しだす。

主役はあくまでも紹介する人であって、主催の素晴らしさを誇示する場ではない。

猫町倶楽部の主催者である山本多津也さんの「読書会入門」幻冬舎でも述べていたが、幹事は重宝がられるが、尊敬はされる必要はないのだ。

主催なんてものは、飲み会の幹事のように、場所を用意して、気持ちよく場が回るように促せば良いのである。

もっとも、まだまだ私も勉強中だが。

勿論、主催者の意図によって開催する方針は変わる。誰を集めたいのか、何をしたいのかによって色が出てくる。

だからこそ、読書会は面白い。

ただ、一度行って微妙だった会には、その後顔を出すことはないのだけれども。それではまた次回!

今日もお読みいただきありがとうございました。いただいたサポートは、東京読書倶楽部の運営費に使わせていただきます。