見出し画像

なぜ、本を読む?

川口市出身の自称読書家 川口竜也です!

私のような自称読書家は、どうして本を読むのですかと問われると、はてどうしてだろうと考えてしまう。

読書は人生を豊かにする、感性を磨く、教養を深めるなどの様々なメリットがあると言われている。だが、人並み以上には沢山の本を読んでいても、自身の血肉になっているかと問われたら、首をかしげる。

それはただ単純に、プロの読書家と比べて読んでいる本の冊数が少ないだけか、はたまた読書に対する価値付けができていないからか。

自己投資だとか、自己価値を高めるために読んでいるなど、読書に対してある種の価値付けができている人はプロの読書家であろう。1年間に200〜300冊以上本を読破する人も少なくない。

私のような自称読書家は、読書に対して絶対的な信頼があるわけでもなく、ただ他にすることがないから本を読んでいる。

なぜと言われても、たまたま好きになったのが本だから、という感じである。

先日読んだ村上春樹さんの「一人称単数」文藝春秋の中に、自称読書家とはこういう人を指すのだなと思った表現があった。

僕は「読書家」と言えるほど系統的に緻密に本を読んできた人間ではないが、活字を読んでいないことにはうまく時間を過ごせない人間の一人だ。

同著 96頁より抜粋

活字を読んでいないことにはうまく時間を過ごせない、こう思う時は度々起こる。

勿論私だってInstagramやYoutubeは見る。だがネットサーフィンをするよりも、本を読んだり、音楽を聴いている方が好きだ。

時折、無性に活字が読みたくなる時がある。

概ね周囲の環境と自分を遮断したいときが多い。周りが盛り上がっているのと比例して、一人内側に入りたくなる。

それって読書好きというよりは、ただコミュニケーションが嫌なだけではないか?まあ少なくとも、酒やタバコに逃げるよりはマシだとは思っている。

1年前のダイヤモンド社のコラムだが、読書を習慣化している人がなぜ読書をするのかに回答している。

とあるケースでは、知識や教養を深めることにより、周りから取り残されないために、ノルマを決めて本を読んでいるという(それ故に活字中毒ではないとも)。

別のケースでは、長年習慣化しているため、別の趣味に時間を削られるという感覚がないらしい。読書をしなければいけないという感覚がないからか、読むことが当たり前になっているのかもしれない。

理由は様々ではあるものの、少なくとも習慣化してしまえば、「読まなきゃならない!」という固定観念からは抜け出せると思う。

もっとも、私は未だに読書に対して意義や価値を見出だせていないかもしれない。

強いて言えば、死ぬまでに1冊でも多くの面白い本を読むことかな。それが意義になるかは疑問が残るが。それではまた次回!

今日もお読みいただきありがとうございました。いただいたサポートは、東京読書倶楽部の運営費に使わせていただきます。