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「その時」

人生は「その時」の連続かもしれないよ。

僕は、未だ「その時」を愛おしく思えていないかもなー。

こんばんわかどりのからあげ。今日はなんとなく思いついたことを書き記したくてnoteを開きました。

僕は、いつも未来のことをきにし、過去のことにコンプレックスを持ち、良い過去を忘れてしまっているかもしれなく、そして、「今」を蔑ろにしているかもしれない。

昨年僕はカンボジアで、いろんなことで悩んでいた一つに、今やってる経験が将来に繋がることがわからないという葛藤の中で、
そんなこと考えたって仕方ないと、「今」に集中することの大切さを、仕事の上でも、生きる上でも、心の落ち着きにも大切なことを学んだ。
人間にとって、過去と未来を考えることは負担がかかることだから。
今何したいかが大事で、そのときにチャレンジしたり失敗して向き合っていくことがってことを、上司から教わった。


だがしかし、今年はまたそうなれなかった。


8ヶ月のカンボジア生活から昨年の12月に帰国し、大学卒業年という流れ的に就活を始め、更には日本の会社のインターンは全くゼロで、あまりにも無知すぎたために何が何だかわからないまま、社会というものを良い意味でも悪い意味でも知らなすぎ、また帰国後にネガティヴなことが多すぎて悩みながら、自分に起きてることの整理がつかないまま未来のことを考え、生き方を思考したため、心が追いつかなかった。
自分の見て見ぬ振りをしてた弱さも知った。

おまけにコロナという、ただでさえVUCAの時代で変化が激しい中で、また社会の変革が起き、デジタル化がまた急速に進み、人に会えなくなり、会社にも行けない、効率化はされたけどなんにも感じられない。
ほんとうに、企業からしたら採用コストが下がったから知らねえけど、学生からしたら交通費が浮いただけで、人生で一番苦悩するときにリーマンショックとはまた違う対応難題なショックに陥らされたものだ。
行きたくてもいけない会社。行きたいとも思わない会社。何にも感じない。情報だけは入る。
なんとも追いつかない日々でした。



楽しい自分なんて置き去りにし、我を忘れ、ひたすら義務感に追われる毎日を、家で過ごしていた。

おまけにバイト先は閉店なるし。


その時」を感じれずに生きていた。

しかし、そんな僕にも幸い、一つの兆しの道、可能性が見つかった。とてもありがたいことであり、チャンス。
3ヶ月後の未来は不確定ですが。笑




僕はこれまでの人生、今も多分、いろんな柵の中でもがいていた。

その一つに、軸や方向性が見つからないということ。
社会で活躍するために、自分の方向性を今定めないといけないとか思っていた。
そもそも社会でなんで活躍できるとか思ってるのかは置いといて。


何者かにならなければいけないと。


ある種、方向性や軸を持つべきというのも、自分の中での一つの檻なことに気づいた。
方向性や軸を持ちたいときに持てばいいのかもしれない。

それより、その時の好奇心に従って行動することが、自分の人生の幸せを創っていくんじゃないかと思ってる。


その時なんの興味があり、その時どんな場所に行き、その時誰と出会い、その時どう感じ、その時を楽しみ、その時頑張り、その時努力し、その時どんな違和感を感じ、その時学び、その時どんな価値観が形成され、その時使命感を持てるか、その時なんの課題にぶつかり、その時悲しみ、その時悩み葛藤し、その時立ち止まり、その時辛くなり、その時心地いいか、その時心躍るか。


その時の喜怒哀楽の爆発。感情に向き合う、その交錯。

人生は、そんな連続なのかもしれない。

よく「今を全力で生きる、楽しもう」と言うが、よくよく考えると、そんないつも頑張れないし、そんないつも楽しいわけでもないし、そんないつもいい時間が流れるとは限らない。悩む時だってあるし、僕は日によっても変わる。
その時その時の自分に合った時間があるのかもしれない。

無駄なその時なんてない。

全てその時は自分の人生の一部。

その時を生きる。

そう思えると、その時を愛おしく思えたりしないかな。

未来将来の答えなんて、わかるはずもないし、わからないから面白い。今まではそう思えてなかったけど今は、わかーりたーくもないーのさー。たったーひとつ、たーしーかーなこーとーがあーるとするーのなーらば、君な綺麗だ。なんてね。失恋ソングじゃい。

生きることは当たり前でないから、その時を感じで生きてないともったいない。

自分はいつか死ぬ。知らない誰かもいつか死ぬ。大切な人もいつか死ぬ。縛る誰かもいつかは死ぬ。
限りある時間やその時を、どう費やすかは自分や身の回りの人との次第。大切な人とその時を大切にしないとね。

ありのままの自分を嫌いな時間はもったいない。
できない自分や嫌いな自分を好きになるのは、なかなか難しいけど、仕方ないと思える方が楽だし、楽しい。
自分の恐怖に恐れてては、その時を楽しめないままだ。
動物や虫、より生きるのが長い人類なんだから、その死んでないその時を感じて生きたいね。


もっと子供のように、無邪気に、ピュアに、思ってしまったことに素直に、余計な計算や合理性を少しばかり手放して、大人の常識に縛られず、社会の枠組みに押さえ込まれず、アホに生きたいな。


そんなよくわからないことをファっと感じ、
サッカースクールの手伝い後の自転車の帰途にふと立ち止まりたいと思ってしまった。

あ、もう11時。時は流れるなー。

観光客がいなく落ち着いた、秋色に色づく嵐山の側の11月夜

feat Official髭男。とはいかないか。

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