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言い訳を手放し、夢の破片を拾いにいく

おはこんばんちは、Web屋のかわしです。
noteの更新内容はこのお題、という具合に今回も #勝手にコルクラボ へ参加させていただいての投稿になります。

Q.あなたが手放したことは?(改めた考え、諦めた夢、捨てた人間関係など)

A.「センスがない」という言い訳

昔から器用貧乏という言葉がベストマッチな私。
色々とやりたいことが出て来ては、すぐに壁にぶつかり、その壁に沿って歩くことを繰り返してきました。
全然努力もせずに自ら「向いていない」「無理だ」「センスがない」と諦めてきた将来の夢が結構あります。
- 音楽でご飯食べたい
- 漫画を描きたい
- 自分が納得できるゲームを作りたい etc...
クリエイティブなものが多い感じですね。

しかし、就職活動の時期には、
現実的な着地点を見つける=大人になること
だと、芸術関連のプロになって食べていける人たちとはセンスが違う、自分にそれは無いから...と言い聞かせてきました。
本当にその道に進みたかったのであれば、もっと前から努力をして準備する、という選択肢があったことからは目を逸らしつつ、です。

とは言え、クリエイティブ職への憧れは捨てることができず、紆余曲折を経てWeb制作の仕事に就くことになります。
しかし、センスは先天的なもの、自分は技術力で勝負する、と言わんばかりに、Web技術に関する情報だけを追っていた結果、デザイナー失格の烙印を押されてしまいます。
「芸術関連の能力は生まれつきのもの」
「いくら独学しても美大に通えたような人たちと勝負できる訳もない」
「生まれつきのセンスの差」
そんな、努力してこなかったことへの言い訳の果てに流れ着いた、自業自得の結果。

(ちなみにその頃、センスは生まれつき備わるものではなく努力の上に成り立つもの、ということが、うっすらと理解でき始めていたものの、自らの努力不足を認めたくなくて、必死に目を逸らしていました)

人間、手遅れになってから初めて気付くことってあるものですよね。
デザイナー失格と言われてようやく、自分はデザイナーでありたいという想いに向き合うことになります。
デザインセンスを向上させるには、と、もがいた末に辿り着いたのが、とあるアートディレクターさんのブログ記事でした。

「大量のインプット」 → 「実戦での試行錯誤」 を繰り返し、僕なりの方法論ができました。

この一文を読んで、センスの有無を言い訳に、何の努力もしてこなかったことを恥じました。
結局、圧倒的なセンスを持っている人たちも、圧倒的な努力の上にそのセンスが成立しているんだ、ということを痛感しました。

また、その方やその周囲には、センスがあるなぁと思える人たちが多くいるのですが、皆さん有言実行の量がとても多い。
そして、その様子に触発されている周囲の方々も、自らの興味関心ありきで行動されるので、たとえ初挑戦だったとしても上達が速い速い。
挑戦しないことに言い訳を用意して、結果的に何もしていない...といった方はおらず、各々がどんどん有言実行していく世界がそこにありました。

そんな流れを見ていたら、自分でもやってみたくなるじゃないですか。
自分にセンスが生じることもあるのかも、って思っちゃうじゃないですか。

という訳で、自らもその世界に加わるべく、その方が主催されているコミュニティに参加した結果、刺激をいただいたり、手を動かす機会に恵まれたりしています。
相変わらず自分にセンスがないなぁ...と思うことは多々あるものの、挑戦したりアウトプットすることに抵抗が少なくなり、言い訳したり立ち止まることが減ったのは、大きな心境の変化でしょう。

今は、「センスがない」を言い訳にして捨ててきた夢の破片を、ちょっとずつ拾い集めて形にしようとしているところです。

以上、「センスがない」という言い訳を手放したWeb屋の #勝手にコルクラボ でした。

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追記1.
私が感銘を受けた記事はこちら
https://takashimaeda.jp/nasu-note/gooddesign_methodology/

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