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愛おしい日常を残したい。

 火事になってから、何かに突き動かされるように撮影を始めた。これまで何気なくやり過ごしてきた家族との日常、それを撮り続けてきた。しかしずっと疑問だった。なぜ火事をきっかけに写真を撮るようになったのだろうか。

 noteに上がってたワタナベアニさんの文章にハッとした。答えが書いてあった。

あの日以来、家族との日々を書き続けている。

 火事になってしばらくは憔悴するような日々だった。非日常の連続でヘトヘトに疲れ果ていた。火事から6日目、僕は意を決して、noteに事の顛末を書いた。しばらくすると今度は、会社を休み、家族と暮らす日常、その中での気づきを書き留めるようになった。

 なぜ文章を書こうと思ったんだろう。なぜ家族との日常を撮りたいと思ったんだろう。そんな疑問を抱えながら、文章を書いて、写真を撮っていた。その問いに思いがけず回答がもたらされた。

 ワタナベアニさんのnoteの記事には、こんな文章があった。

写真を撮る人が持っていなければいけない才能は、「世界を肯定し、驚き、愛する能力」だと思っている。できるだけ多くの美しいモノを見つけ、自分の基準でそれを愛する。写真を残したいって、そういうことだもんね。ペットを飼ったとか、子どもが生まれたとか、そういうときにはたくさん撮るでしょ。
カメラは愛すべきものを、自分の方法で愛するための道具なんです。

 自分がなぜがむしゃらに写真を撮ってきたのか、分かった気がした。

 そうか、僕は残しておきたいと思ったんだ。いつ失われてしまうか分からない、儚いけれど、愛おしい日常を。ようやくその価値に気づいたのかもしれない。

 写真を撮ることの意味を知りたくて、何冊か本を買った。ハウツー本ではないものを探した。中でもカメラマンの菅原一剛さんの著書「写真がもっと好きになる。写真を観る編。」は読みやすくて、写真を愛する心が宿った本だ。ロバート・キャパやダイアン・アーバス、土門拳など、歴史に名を刻んだカメラマンたちがいかに写真と向き合ってきたのかが書かれている。

 その中に、ロバート・キャパのこんなエピソードが載っていた。

 ロバート・キャパは、ある雑誌のインタビューの中で、「アマチュア写真家へ、何かアドバイスを」との問いかけに「人を好きになること、そして、それを相手に伝えること」と答えています。

 好きなものだから記録したい。好きなものだからちゃんと撮りたい。だから上手くなりたい。キャパの言葉も、アニさんの言葉も、大切にしている何かは同じだ。写真家って、哲学者みたいに、言葉をもっている。

 いい写真を撮りたいんじゃない。愛おしいから撮るんだ。

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