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静寂の町で、東京の喧騒を思う

 その町には、おどろくほど人工の音がなかった。
 川のせせらぎ、鳥のさえずり、木々のざわめきが、はっきりと耳に届く。世界が不穏ななか、その静かなる世界では、何より心が安らいだ。

 古都・飛騨高山。山間に開けた美しい町だ。東京からは電車に乗り継いで5時間ほどかかる。ぼくが訪ねた4月の初め、ちょうど桜が咲き始めていた。

 この町には世界中から旅行者が訪れる。しかしこの2年、外国からの旅行者は100分の1になった。週末にもかかわらず、観光客はまばらだった。

 今回の目当ては、メディアアーティストの落合陽一さんの展覧会「偏在する身体 交差する時空間」。オープニングのこの日は落合さんのギャラリートークもあり、東京からも大勢の人が詰めかけていた。

 会場の日下部民芸館は、およそ150年前に飛騨の匠の手によって建てられた。木造建築が作り出す独特の陰影が、落合さんのメディアアートと不思議な調和を見せる。

 高山は、春と秋に高山祭が開かれる神々のすまう町。いたるところに祠がある。まわりをぐるりと山に囲まれ、この季節は雪解けの水が川をみたす。

 滞在中に感じていたのは、圧倒的な静けさだ。町の中心は車も少なく、人工的なノイズを感じることがない。川のせせらぎ、鳥のさえずり、木々のざわめきが、はっきりと聞こえる。雑音がないことで、心もゆったりしてくる。いわゆるチェーン店もほとんどない。コンビニも、ドラッグストアも、家電量販店も、ほとんどない。

 東京で暮らすぼくらは、とんでもない量のノイズに日々さらされる。店先の呼び込みにラッピングカーが鳴り響く。駅のホームでは駅員さんのアナウンスと発車メロディ。パトカーや救急車のサイレンにすら慣れっこだ。

 旅の最後にいただいた、高山ラーメン発祥だというお店の中華そば。丁寧に作られた、やさしい味で、すっと胃袋におさまる。

 帰りの特急ひだは、とにかく揺れた。古い線路のまま特急列車を走らせているからだろうか。仕事をしようとパソコンを広げたが、どうでもよくなってすぐにパタンと閉じた。

 車窓からは満開を迎えた桜がつぎつぎと目にとびこんでくる。名古屋までは2時間半、何もせず外を眺めてすごすことにする。

 突然、列車が急停車した。ほどなく車内アナウンスが流れてくる。鹿が列車に衝突したらしい。しかし乗客は誰も気に留めることなく、お弁当を食べたり、また昼寝にもどったりしている。窓の外には、日当たりのよい草っ原。寝っ転がったら気持ちがいいだろうなぁ。
 15分後、運転再開。またガッチャンガッチャンと揺れ始める。次第に眠くなり、目が覚めると、まもなく名古屋だった。

 名古屋からの新幹線は、わりと混み合っていた。横浜をすぎ、東京に近づくにつれ、ビルが立ち並ぶ、いわゆる都市の風景に変わっていく。

 東京駅で新幹線を降りた途端、けたたましいノイズが耳に飛びこんでくる。弛緩していた心がキュッと引き締まっていくのを感じた。

 人の渦に飲み込まれながら、あの高山の静寂を懐かしく思った。

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