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「膝枕」外伝 膝枕ンディア

2021年8月7日、Clubhouseで今井雅子作「膝枕」朗読を行い、膝枕er番号67番に認定されました。

多くの膝枕erから刺激を受けて、私も膝枕iterとしてこんなのを書きました

本作品は膝枕外伝第六弾となります。


「膝枕」外伝 膝枕ンディア

1939年11月30日、フィンランドとソビエト連邦による冬戦争が始まった。
「フィンランドがナチスドイツの手先ではなく、奴らがソ連を攻める通り道にはならないというのなら、レニングラードと隣接したカレリア地峡を引き渡せ」
という理不尽なソ連の要求を断固拒否し、世界中誰からも助けてもらえないにも関わらず、フィンランドは知恵と勇気を振り絞って戦い抜いたが、圧倒的なソ連の軍事力の前に衆寡敵せず、3ヶ月後に屈服した。それから1年3ヶ月を経て、フィンランドはドイツ軍の力を借りて、一度は奪われた領土を奪還するも、やがて形勢は逆転。1944年9月19日に締結された休戦協定により、いわゆる継続戦争は終結したが、当初のソ連の要求を上回る領土の割譲と、3億ドル相当の物資提供という形での賠償を課せられた。ソ連と約束した6年間で賠償をやり終えるなど、西から太陽が昇るよりありえないことで、フィンランドという主権国家が早晩消え去り、ソビエト連邦16番目の共和国になることは、誰の目にも明らかだった。

これから綴られるのは、国が滅びる不安に苛まれたフィンランド国民に勇気を与え、敗戦後もソ連の衛星国に落ちぶれず、国家の尊厳を守り抜く原動力となり、今なおフィンランド国民によって歌い継がれ、世界中で知られたある楽曲の、誕生の影に隠れたまま失われた物語である。


Ⅰ.
フィンランド南東部の北カレリア地方に、フィンランドで四番目に大きい、ピエリネン湖という湖がある。ピエリネン湖の西岸にはコリという丘があり、約30㎢の森になっている。フィンランドという国名は、フィン族という民族に由来する英語表記で、フィンランド人たちは自分たちの国を、森と湖の国を意味するスオミ(Suomi)という名で呼んでいる。コリの丘は、そんなスオミの名を体現するような場所だった。

19世紀末のある日、ヨハン・ユリウス・クリスチャン・シベリウスという作曲家が、コリの丘にやってきた。コリの森の中を歩きながら、シベリウスはその美しさと雄大さを存分に堪能したが、同時にこんな思いもわいてきた。
「こんな美しく雄大なわがスオミが、なぜロシアの一部なんだ?」

1809年に終結した大北方戦争により、フィンランドの支配者はスウェーデンからロシアに変わった。大半のヨーロッパ各国の言語は、インド・ヨーロッパ語族と呼ばれる大きなくくりの中に分類されるが、フィンランド語はそれらとはまるで縁もゆかりもなく、ロシア語とスウェーデン語の違いが熊とライオンの違いだとすれば、フィンランド語は馬か牛というくらい、あまりにも違い過ぎた。そんなフィンランド語が公用語となる等、スウェーデン領だった時代に比べれば、フィンランドの自治はロシアによって大幅に尊重された。

しかし、神がロシア皇帝を守るよう祈るロシア語の歌詞を国歌として歌うなど、フィンランド人にとってはありえない屈辱だった。そんな不満を見透かしたかのように、皇帝ニコライ2世がフィンランドの自治権廃止に動いたことで、フィンランド人の怒りは大爆発した。ロシアの総督が殺されるなど、各地で暴動が発生し、これに対するロシアの弾圧は凄惨を極めた。

Ⅱ.
1899年11月2日、ロシアからの独立を主張する青年フィンランド党により、「新聞の日」というイベントが開催された。その目玉となったのは、フィンランドの歴史を描いた劇の初演で、伴奏曲は作曲したシベリウス自身が指揮した。だが、この劇の再終幕「フィンランドは目覚める」が、あまりにも民族主義丸出しだったとして、ロシア政府によって上演を禁止されてしまう。翌1900年2月13日には、失意のシベリウスをさらなる追い打ちが襲った。三女キルスティが腸チフスに冒され、2歳でこの世を去った。ただでさえ妻アイノを悩ませていたシベリウスの酒癖の悪さは、この二つの不幸により、さらに拍車がかかってしまった。

ようやく悪酔いから覚めたシベリウスは、心の安らぎを取り戻すべく、再びコリの森へやってきた。だが、美しく雄大な森と湖も、シベリウスの荒み切った心を癒すには足りなかった。

シベリウスが宿に戻り、部屋に入ったら、そこに一人の女がいた。どうやら掃除やベッドメイキングが終わっていないのに、手違いでそれがシベリウスに伝わっていなかったようだった。
「あっ、シベリウス様、大変失礼いたしました」
振り返った女が、フィンランド人ともロシア人ともまるで異なる姿であることに、シベリウスは驚いた。肌も髪も瞳も色が違う黄色人種の存在は知っていたが、実物を見るのは初めてだった。
「君はどこの国から来たのかね?」
「日本からまいりました」
フィンランドからはあまりにも遠い、極東のちっぽけな島国ながら、いつロシアと戦争になってもおかしくないと云われている、日本から来た女。きっと言うに言えない事情があるのだろう。そういうこと以上に、女の表情や佇まいには、シベリウスの心を揺さぶるものがあった。
「君のお名前は?」
「ヒサと申します。あっ、もう少しで終わりますので」
「気にしなくていい」
ベッドがようやく整った頃、シベリウスはヒサに声をかけた。
「ちょっと尋ねたいことがあるんだが」
「はい、何でしょう?」
「私はいま、どうしようもなく心を痛めている。大切な作品を上演禁止にされ、娘の命まで失われた。こんな風に苦しんでいる人を、君の国ではどうやって癒しているのか、聞かせてくれないか?」
ヒサは一瞬戸惑った表情を見せたが、一つ息を吐いて、
「ここでやってみますか?」
「えっ、何をするというんだ?」
ヒサは整えたばかりのベッドに乗ると、両膝を曲げて正座をした。そんな座り方を見たことがないシベリウスは、唖然とした。
「こちらへどうぞ」
ヒサは自分の膝を指さした。
「いや、どうぞと言われても・・・・・」
どうしていいのかわからないシベリウスに、
「ベッドの上に寝転がり、頭を私の膝の上に乗せてください」
とヒサは促した。言われるままにそうしたシベリウスは、頭をヒサの膝の上に乗せた瞬間、この世のものとは思えない感覚を覚えた。2歳の娘を失った悲しみや、劇音楽を上演禁止にされた怒りよって千々に乱された心が、少しずつ癒されていくのを感じた。

「♪Hum-hum-hum-hum, Hum-hum-hum-hum, Hu-hu-hum・・・・・」
シベリウスは、ヒサがハミングをしているのに気づき、下から見上げた。
「子供の頃、私がこうしてもらっているときに、親が口ずさんでいたんです。別に言葉があるわけでもないのに、ずっと忘れられなくて」
ヒサの目から涙がこぼれ、シベリウスの顔に当たった。シベリウスはゆっくりと頭を上げ、ベッドに腰かけた。34年生きてきて、これ以上感じたことのない癒しだったが、ヒサに辛い思いをさせるわけにもいかない。
「今のは何と云うのかね?」
「えーと・・・・・コレンナヤ・・・・・ポドゥーシュカ」
とヒサが言い終わるより前に、シベリウスはさえぎった。
「ロシア語じゃなくて、君の国の言葉で言ってくれ」
「hizamakuraといいます。フィンランド語ではlantiotyynyですね」
「ありがとう。hizamakuraという日本語を、私は決して忘れないよ」

Ⅲ.
静養を終えたシベリウスは、コリの宿でヒサが口ずさんでいたメロディを基に曲を作り、Hizamakurandiaと名付けた。1900年7月2日に初演されたが、この曲ができた背景や経緯等、何の説明もなかった。末尾は土地を意味するイタリア語のlandiaかと思いきや、曲名の最後の6文字はrandiaだから、スペルが違う。そもそもHizamakurandiaとは何なのかと、多くの人から問われたシベリウスだったが、決して明かすことはなかった。そして程なくして、シベリウス自身が
「この曲は楽譜の出版を許可しないし、二度と演奏しない」
と宣言したことで、Hizamakurandiaはお蔵入りとなってしまった。その理由についてもシベリウスは沈黙を貫いたが、ロシアと日本の戦争が時間の問題であることを思えば、日本語の含まれた曲名を世に出せる筈がなかった。

南満州各地でのロシアと日本の全面戦争の只中にあった、1904年9月24日。シベリウスは首都ヘルシンキから北に45㎞程離れた、トゥースラ湖のほとりに建てた新居に移住した。新居には妻の名をもとに、アイノラという名をつけた。第一次世界大戦とロシア革命の混乱のさなか、フィンランドは1917年12月6日、ついに独立を宣言した。資産家や中産階級勢力と共産主義者による内戦の傷を乗り越えて、フィンランドが前進するのと合わせて、シベリウスも数多くの作品を発表し、作曲家として世界的な知名度を確立していった。だが1926年12月26日、最高傑作と呼ばれる交響詩「タピオラ」が初演されたのを最後に、シベリウスの作曲活動は突如停止してしまった。ソ連との戦争が始まり、大きな不安に苛まれるフィンランド国民が悲壮な覚悟で戦っているというのに、シベリウスは世捨て人同然だった。

Ⅳ.
そんなある日、アイノラに一人の男が、大きな旅行鞄を持ってやってきた。
「シベリウス先生、はじめまして」
「知らない人から先生と呼ばれる覚えはない」
「失礼しました。ではシベリウスさんとお呼びします。私はベイッコ・アンテロ・コスケン二エミと申します」
しかしシベリウスは、トゥルク大学人文学部教授と書かれた名刺を一瞥するや、プイッと背を向け、受け取ろうともしなかった。
「私は世捨て人だ。大学の先生に用事などない」
「あなたが私に用がなくても、私はあなたに用があります」
コスケン二エミは感情を抑えて言葉を発したが、シベリウスは背を向けたままだった。
「私があんたに用はないと言ってるんだから、何を言ってもムダだ。あんたが私に用があったところで、お役には立てんよ」
「あなた以外にできる人はいないから、お願いに上がりました」
「だったらあんたの役に立てる奴は、世界中に一人もおらんわ」
「私の役に立ってほしいのではありません。祖国フィンランドと国民のためにお願いに来ているのです」
それでもシベリウスは背を向けたままだった。
「祖国と国民のため?フン、大学教授ふぜいが大きな口を叩くもんだな。あんたはマンネルヘイムにでもなったつもりか?」

ため息をついたコスケンニエミは、大きな旅行鞄を開いてゴソゴソやり始めたが、シベリウスは背を向けたまま、興味を示さなかった。するとコスケンニエミは、突然シベリウスの襟首をつかんだ。
「き、貴様、何をするか!?」
と声を放ったシベリウスは、次の瞬間引き倒されていた。
「!!!!」
そのとき、シベリウスは懐かしい感触を思い出していた。倒された自分が頭を預けているのは、女の太腿としか思えないものだった。コリの宿で味わった、日本人女性の膝の感触が、寸分違わぬを通り越して、本物以上に本物だった。よく見れば腰から下しかないが、シベリウスにとってそんなことはどうでもよかった。

「これでも私のお願いを無視するつもりですか?」
上からコスケン二エミの声が落ちてきた。
シベリウスは膝枕から頭を上げて立ち上がり、ようやくコスケン二エミの目をまともに見た。
「私に何をしろと?」
「一週間以内に合唱曲を作ってください。歌詞は私が作りました」
コスケン二エミが手渡した紙には、こんな歌詞が書かれていた。

 祖国スオミよ、時は来たれり
 夜の恐れは跡形もなく
 輝く朝に雲雀(ヒバリ)は歌う
 祖国の夜明け、今ぞ来たれり

 祖国スオミよ、頭(こうべ)を上げよ
 花咲き誇る気高き歴史
 軛(くびき)を脱し、世界に示せ
 汝の朝はここに始まる

シベリウスは一瞬目を輝かせたが、すぐに首を振った。
「私は長いこと作曲から離れてしまった。いくらなんでも一週間で新たに曲を作るのは、とてもムリだ」
「新曲を作れとは誰も言ってません。あなたには、幻の曲がありますよね?Hizamakurandiaという名前の」
絶句したシベリウスに、コスケン二エミはたたみかけた。
「確かあなたがコリの森で静養中に、宿で世話をしたのが日本人の女で、日本語で膝枕と呼ばれることを体験したことで着想を得たとか・・・・・」
誰にも言わなかった過去を、コスケン二エミが何もかも知り尽くしていることに、シベリウスは震え上がったが、すぐに表情を弛め、膝枕を手にした。
「一週間で完成したら、これを謝礼代わりに私にくれないか?」
「もちろんです。ありがとうございます。よろしくお願いします」
「礼を言うのは私の方だ。もう二度と味わうことがないと思っていたら、こんなことになるとはな。この膝があれば、もう何も要らないよ」
「シベリウスさん、いまは戦争の最中です。フィンランド人の誇りと尊厳まで要らないと言われては困りますよ」
「すまんすまん。だが、君がこうしてわざわざ訪ねる程の作曲家に私がなれたのは、冗談抜きで膝枕なしには考えられないんだよ。あれがなかったら、私は間違いなく酒で身を滅ぼしていた」
コスケン二エミは、さらに一枚の紙を示した。
それは、戦争の恐怖に怯える国民を立ち上がらせ、ソ連の横暴と断固戦い抜くことを目的に、合唱曲をシベリウスに作曲させるべく、一切の裁量をコスケン二エミに与えるという念書であり、フィンランド共和国大統領リスト・リュティと、フィンランド軍最高司令官カール・グスタフ・エミール・マンネルヘイムの署名もあった。シベリウスはため息をついて苦笑いした。
「さっき私は『君はマンネルヘイムにでもなったつもりか?』と言ったが、本当にマンネルヘイムの使いだったとはな。それじゃイヤとは言えんな」
「あなたのことですから、大統領や最高司令官の名前を出すより、その膝枕の方が効果的と思いました」
「ハハハハハ。だが考えてみれば、ソ連が我が国を侵略したおかげで、私はこんなチャンスをもらったんだから、むしろ奴らに感謝しなくてはな」
「ご冗談を。ハハハハハ」

Ⅴ.
封印されて幻の曲となったHizamakurandiaのメロディは、コスケン二エミの歌詞を得て、Finlandia Hymni(フィンランディア讃歌)としてよみがえった。ドイツ軍が敗退を重ね、今度こそ祖国が滅ぼされてしまうという恐怖に直面したフィンランド国民にとって、この歌はこの上ない支えとなった。敗戦によるソ連への領土割譲と、多くの命が失われた悲しみを受け入れたフィンランドは、賠償を約束の6年間より早く完済し、世界中を驚かせたが、その原動力のひとつがフィンランディア讃歌だったことは、疑いようもなかった。

この曲に救われたのは、フィンランド国民だけではなかった。アメリカ長老派教会は、シベリウスの許可を得て、フィンランディア讃歌のメロディを讃美歌第291番「やすかれ、わが心よ」に取り入れた。また、結果的には悲惨な末路をたどったとはいえ、1967年にナイジェリアからの独立を宣言したビアフラ共和国も、この曲のメロディを国歌に使った。日本語の歌詞でも、フィンランディア讃歌は今なお歌い継がれている。そして歌のない管弦楽曲としても、交響詩「フィンランディア」はプロ・アマチュア問わず、日本を含めた世界中のオーケストラで演奏されている。

1957年9月20日、シベリウスは脳内出血により、91年の生涯を終えた。死の瞬間、彼の頭の下には、両膝を曲げた女の腰から下のような物があったが、妻アイノは駆け付けたコスケン二エミにこれを渡し、誰からも知られることはなかった。5年後にシベリウスの後を追って他界したコスケン二エミもまた、フィンランディア讃歌の元となった幻の曲Hizamakurandiaと、作曲されたいきさつについて、最後まで誰にも語ることはなかった。


この物語はフィクションであり、実在の人物や歴史上の事実とは一切関係ありません。


2024年2月24日、Clubhouseで膝開きしました。


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