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【キャリア考察】自分自身の性質と、それが生かされる(外部)環境とは

以前、中途採用について、採用側の観点を記事化したので、今度は転職時の企業選びの軸について書いていこうと思ってました。
が、それはその人その人でケースバイケースで学習しながらキャリアを考えればよいと思い至ったため、今回は自分合った楽しいと思える仕事の環境について書いていこうと思います。

働く目的は、その時々で違う

大学卒業後、社会に出る手段として当たり前のようにサラリーマンを選択しました。

社会人になったら働き、自分で稼ぎ、まず経済的に自立していくことが大人になることというイメージを持っていたし、周りもそういう感じの分いん気だったように思います。
その中で当時はサラリーマン以外の選択肢は浮かぶことはありませんでした。

なので、まず会社勤めし働き、働く中で、なにか自分の好きなことを見つけられると良いなと思いながらとりあえず潰しが効くであろう、金融を選んだのは今でも記憶に残っています。

会社や職種を変えながら、CAN(出来ること)を拡大させつつ、職位(それによる社内における影響力)・給与・経験を積み重ねできました。

マズローの欲求5段階説にあるように、
・まず就職することで安全欲求を満たし
・個としてCAN(できること、スキル)を追求し所属(存在場所)を確保し
・チーム・組織としてやべきこと(MUST)を追求し仕事の成果の表出や職位の向上を達成し承認欲求が満たされる

欲求の階段を進んできたのでしょうか。
そして、自己実現欲求のステージまでくれば、私にも、なにか目的が見出されるのでしょうか。

ダイアモンドオンライン_2分でわかる! “マズローの欲求5段階説”より抜粋

キャリアの重ね方

キャリア形成には、よく山登り方型・筏下り(川下り)型などの型があると言われますが
私の場合、その時その時の必要な役割を演じるように働いてきたので、明確なWILLがなく、後者のタイプなのかもしれません。

飽き性なところもあるので、同じ仕事を継続するというより、プロジェクト等が一服すると、次の新しいおもちゃ(≒お題)がほしいな、と思うタイプです。

@z_carpediemさんのX投稿より引用

とはいえ「何者かにならなければならない」と思いはあります。
それがなかなか見つからないまま出来ることが増えていったイメージで、最初からおおきな目的意識を持っている人達に憧れを持っていました。

今もなおそういう思いはありますが、この記事にあるように色々と経験するうちに、徐々に、「何者かにならなければならない」という思い(強迫観念?)から開放されつつあります。

まずは、自分が快適、楽しいと思える環境に身を置き、その状態を維持すること。そこが今現在の目指す状況です。

働く環境のなかで快と不快を見極める

証券会社、ITベンチャー、大手企業の新規事業部など、色々は会社というハコを経験してきて、今私の中で、快と不快な環境要因は少しずつ見えてきたように思います。

それらをいくつか書き出してみたいと思います。

▼その会社はどんな思いをもっているのか?そこに共感できるか?
まず、会社とは、社長(or創業した人)が、「こういうことをしたい」、「こういう課題を解決したい」といった思いから始まっていると思います。
もちろん業績や、給与・待遇も大切ですが、まずはその「思い」に共感し、その実現に貢献したいか?と思える気持ちがあることは非常に大切です。
(私にとっては、です)

▼その思いを実現するために、戦略・組織・制度は一貫性があるか?
その会社のビジョン・思いを実現するために事業があり、事業戦略があります。
戦略があるのでそれを実行する組織役割、業務、継続する仕組みとしての制度があります。

それらがチグハグしていると、言っていることと、やっていることが一貫性がないように感じられることがあります。
もちろん、環境は常に変化してますし、いつも整合性・一貫性がある状態ではないかもしれません。ただし、現状一貫性がないことをトップが認識しつつ整合を取っていくための考えや取り組みが示されていることが非常に重要と考えます。

もちろん、その会社のシステムの中にいる一員として齟齬や違和感に気づいたら、対話や打開策を検討していくことも大切な仕事ではあると思いますが。

▼社員を信じているか?
これは情報のオープンさ、意思決定のプロセス自体の可視化などを指しています。
組織構成する社員に対し、全ての情報をオープンにすることは適切ではないケースも在ると思いますが、末端も含めてどの程度社員を信じているかで情報の開示性は変わってくると思います。
自分自身も情報の非対称性でのマネジメントは嫌いですし、そういう会社も余り好きではありません。
オープンに伝え、違和感について対話し、納得感を引き出すような文化があっていると思います。

▼個の可能性を信じているか?/ボドムアップか?
上述の観点と共通しているところもありますが
役職は、役割であって、偉いとか偉くないとかは本来的にはないのかもしれないと思っています。
なので、トップダウンで、言われたことを遂行するだけの仕事場は嫌いです。
違うと思ったら提案をし、立場が違っても、目的合理に沿って対話でき、変更も含めて合意し任せてもらえるような裁量と責任の大きさこそ、自分の創造性を活かせると思っています。自由が好き。

▼自立した個の集団か?
三本の矢のたとえもありますが、一人の力の限界も、一人の人間の着想が大きな価値に変わることも、どちらも経験しました。
フラットに協働しあい、個人のアイデアから集合知に昇華される瞬間を経験してきたので、そういったコラボレーションが起きやすい環境が私にはあっています。

逆に、KPI管理を個人の行動量でマネジメントし、協働ではなく個人主義を助長するような評価を指向する組織には、不向きと思ってます。
むしろ、チームで目標を掲げ、プロセスの設計自体を任せてもらえるような自立した個人の集まりのほうがワクワクします。

まとめ

キャリアを考えるうえで、自分自身の性質と、それが生かされる(外部)環境を認識しておくことはとても大切です。
どれだけ優秀と言われる人でも、環境とのかみ合わせで、うまく力が発揮できなかったり、ダメなヤツと言われた人でも、上司が変わって急に輝き出すようなこともあります。

キャリアとは、「轍」が語源だそうで、振り返って初めて轍として跡が残るものです。
なので、転機と感じたらキャリアを振り返り、自分自身の価値観を棚卸しすることでよりマッチした環境にたどり着き、快で、ゴキゲンに働けるのではないかと思っています。

こうして適宜自分を客観視すると、いつまでも苦しい環境に身を置くことから前向きに動き出せたり、「何者かにならなければ」といった執着から離れる「自分らしく働ける環境にいれたらいい」と気付けるきっかけになると良いなと思います。

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