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ポニーテールの猫柳さん

 お隣りの部署には猫柳さんという先輩社員がいる。ポニーテールをした涼しい目元の美人さん。
 猫柳さんは淡々と業務をこなし、いつも定時ぴったりに帰る。定時ぴったりに上がれるということは、その時間までに自分の業務を終わらせることができ、スケジュール管理がきっちりとできている証拠なのだと思う。なのでとても仕事の出来る人なんじゃないかと密かに思っている。たぶん仕事の出来る人なのだろうけど、猫柳さんはあまり周りから評価をされていない。なぜなら猫柳さんはとにかく愛想がないからだ。挨拶をしても素っ気ないし、休憩時間はいつも一人だし、定時ぴったりに帰るし……噂によると飲み会に誘ってもまず来ることはないらしいし。
 実家暮らしとか、かなり歳上の旦那さんがいるとか、実はバツイチらしいとか、隠し子がいるとか、常務の愛人だとか好き勝手にいろいろと噂をされてしまっているけれど、そんなことは全く耳に入っていないのか気にしていないのか。猫柳さんはいつも涼しい顔をして淡々と業務をこなしている。
 私は猫柳さんとは違う部署で会話もほとんどしたことはないけれど、彼女がとても気になっている。

 なぜなら──

 初めて気がついたのはある日の休憩室での出来事だった。
 少し遅い昼休みに休憩室へ行くと猫柳さんが一人でランチをとっていた。彼女は窓際の席にいた。綺麗な人は目の保養。私は猫柳さんが視界に入るひとつ隣りのテーブルの席についた。ストーカーではない。隠れ猫柳さんファンとでも言おうか。目の保養は大事。可愛いは正義。心に潤いを。
 ちょうど食べ終わったのか猫柳さんはお弁当箱をしまうところだった。名前が「猫柳」だけあって、猫のイラストのかかれたお弁当箱。それを使っている猫柳さんがとにかく可愛い。普段、彼女は愛想が無いけれど持っている小物がいちいち猫だらけで猫柳さんはきっと猫好きなのだと思う。猫のお弁当箱に猫柄のランチバッグ、何なら敷いているテーブルクロスも猫柄だった。

「こんな時間にお昼ですかー?」

 突然、馴れ馴れしく男性が猫柳さんの真向かいの席に座った。背がすらりと高くて爽やか好青年といった感じ。この男、知ってる。社内で付き合ったり別れたりをいろいろな女性社員と繰り返しているらしい、年度が変わる度に部署異動をしている有名な遊び人。
 猫柳さんは美人で目立つので時々露骨なアピールをする男性社員が現れてはいつの間にか玉砕していることがある。この人もそんな玉砕覚悟男性の一人なのかもしれない。

「猫柳さんっていっつもお弁当ですよね? 手作りですか? 偉いですね」
「……ほとんど冷食ですから」
「冷食……あ、冷凍食品のことですか? へー、冷食。前に弁当男子ってヤツに憧れて、いっとき弁当持って来てた時期があるんですけど。朝起きて弁当に詰めるところから既に面倒になっちゃって無理でした。僕も猫柳さんを見習って弁当男子を復活させようかなぁ」

 男性はわりと周りに聞こえる声で喋っているので、猫柳さんとの会話のやりとりが聞こえてしまう。それにしても「何々男子」と自分で言えてしまうあたりが何だか癪に障る。こんな人のどこに魅力があるのだろう。やっぱり顔かな。脚を組んで座ってる感じがまた腹立つ。この人、自分がイケてるってことを自覚してるんだろうな。

「ちなみに今日はどんなレパートリーだったんです? 参考までに」
「……ほとんど冷食ですから」
「でも、冷食も最近は美味しいですよね。冷凍の餃子は神ですよね。あ、下に敷いてるのも猫柄じゃないですか。めっちゃ可愛いですね。俺も猫好きなんです。夜、寝る前に猫の動画とか見て癒されてますよ」
「…………」

 懸命な男性からの言葉のボールを猫柳さんは受け取る気もないらしく、黙ったままだった。男性と猫柳さんの間は見えない壁で遮断されている。それでも壁のほんの小さな隙間から顔を覗かせるようにひとりで会話を続ける男性の強靭な精神に私は感心してしまった。こういう強引なところがモテる秘訣なのかな。

「猫柳さんだけあって、やっぱり猫好きっぽい雰囲気ありますよね。猫と一緒にお昼寝してそうです」
「…………」

 猫柳さんはにこりともせず、会話を続ける気がないらしい。ぼんやりと窓の外を眺めだした。猫柳さんは怒ってはいなさそうだけど、この二人の冷め切った空気感に私の体感温度も二度くらい下がった気がする。寒い。寒すぎる。

「あ、フリスクいります? いろんな味を試すんですけど、買ったの忘れて鞄にめっちゃ入ってるんですよ。いります?」

 男性社員は明らかに面と向かって話し掛けているのに猫柳さんは完全に無視をしていた。会話に加わっていない私の胃の方がきりきりしそうだった。これは私は何を見せられているのだろう。いや、勝手に二人のやりとりを観察しているのは私だけれども!

 すると、窓の外をぼんやりと眺めていた猫柳さんの髪が揺れていた。飾りのついたゴムでひとつにまとめられている艶々とした毛先が右へ左へと揺れている。揺れているというより、パタパタと叩きつけている……ように見えた。
 やがて窓の外を見ていた猫柳さんは立ち上がりそのまま鞄を持って休憩室から出て行った。男性を無視するようにいなくなってしまった。彼は猫柳さんの前では完全に空気だった。呆然と去って行く猫柳さんの後ろ姿を見つめ、手にはフリスクが握られていた。そんなスカした男性の姿を見てなぜか私もちょっとすっきりした。
 あれ? でも、よくよく考えたら休憩室に風なんて吹いていない……よね。空調もついているとは思うけど風は感じないし。風もないのに猫柳さんの毛先はパタパタと動いていた。はっきりと見た。猫のしっぽみたいな動きだったな。猫は機嫌が悪いと叩きつけるようにして尻尾を振る。機嫌が悪いと……尻尾を。
 私は思わず立ち上がっていた。猫柳さんはまさか……まさかね。名前が猫柳ってだけでまさかね。

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