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「自分を愛せない人は、他人も愛せない」という言葉について

こんばんは。 くらげ です。

久しぶりの投稿になります。
でも、2年も投稿していなかった期間と比べたら、成長してますよ、、ね、、?

本当に、気分屋ですよね。(笑)

今回は、少し前に自分が悩んで考えて、色々調べて、結果たどり着いたことについて綴らせてください。

すごく個人的な意見の内容のものになりますが、
どうぞ、最後までお付き合いいただけると嬉しいです。


「自分を愛せない人は、他人も愛せない」


この言葉を一度は目にしたり聞いたことがある人は多いのではないでしょうか。

私も初めてこの言葉に出会ったときは、よく考えもせずに「そうなのかもね。」みたいに思って、深く考えず素通りしていました。

でも、何度かこの言葉に出会うたびに「なぜ?」という気持ちが膨らんでいきました。

というのも、個人的な話になってしまうのですが、

私は、私に自信がなく自分を素直に受け入れてあげられないため、自分を愛しているという認識がなく、
でも、友人はとても好きで大切でしたので、

最初は

「そんなことないよ!そんなの信じたくないよ!」

そんな反発的な気持ちが、この言葉の意味を考えるようになったきっかけでした。


完全に私個人の考え方になりますが、

「自分を愛する」とは「自分をちゃんと理解する」


ということだと思うんです。


まず、「自分を理解する」ということについてお話させてください。

私達はどこかしらのコミュニティに属して成長していくことがほとんどだと思います。

保育園・幼稚園・小学校・中学校・高校 などなど

このようなコミュニティに属して、だんだんと大人になっていきます。

集団行動や他人とかかわるようになると、

喜び、悲しみ、後悔、羞恥心、嫉妬 など

沢山の感情を学ぶと思います。

初めはゼロだった他人との間に抱く感情が、

どんどん他人と関わることで増えていきます。

そして、子供はその時の気分に対して、本能のままに行動すると思います。

例えば、嫉妬心や憤怒を抱けば、競争心や時には相手を傷つけてしまう行動をとると思います。

そして、行き過ぎた行動は教育する立場の人や第三者に注意され、
その行動を反省し自分を修正していきます。

ここまでは子供が集団行動を経て学ぶ善悪の基準が出来上がる過程だと思います。

でも、「自分を理解する」ということは、
この過程の次にある
「自分に足りない部分を考えること」
だと思います。

なぜなら、
何かに反省し、自分の行動を見直すことで次につなげようとしたとき
自分という人間を知り、理解することで、自分に足りない部分を知ることができると思うからです。

そのため、もし表面上でしか反省しなかったとき、

その人は自分と正面から向き合わず、自分が足りなていない部分をちゃんと自分の本心で理解しないので、

次同じようなことが起こっても再度自分の欲求のままに行動してしまい相手を傷つけてしまうと思うんです。


つまり、「自分を理解する」ということは、

ゼロだった自分が他人との間で生じる感情を知り、
その結果起こってしまった失敗を経て
自分の言葉で自分の足りない部分を認識し、
自分という人間を知る

ということだと思います。


そして、自分を理解しない限り、

どうしても無意識のうちに自分の本能に従い、知らないうちに他人を傷つけている可能性があると思うんです。

すべての状況に対して、
「自分を愛せない人は、他人を愛することができない」
という、この言葉が当てはまるか。と考えたらノーだと思いますが、

結局この言葉がいいたいことは、


ちゃんと自分と向き合い、自分がもっと自分を好きになれるような人間へと変化していくための過程を経る。

つまり、自分を大切にし、愛することができると、

他人に対して愛のない行動をしない確率が高まる。


ということだと思います。


完全に私の意見ですし、とても内容がややこしくなってしまいましたが、でも、私はこれで腑に落ちました。

他人を愛すること、大切にすること。

つまり、今回の考え方でいうと、自分の醜い部分と真正面から向き合うこと。

本音を言えば、かなりエネルギーを必要としますし、できれば向き合いたくないです。

でも、
「自分をもっと好きになれる自分に変わることで、自分にとって大切な人をもっと大切にできる自分になれる。」って考えると、
重い腰が少しは軽くなるかもしれませんね。

でもまだまだ私自身も、私自身ともっと向き合い大切にしていく必要があると感じる日々です。。。



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