オバァとお茶を飲みたい
オバァは、96才
私の愛する祖母の話を書きます。
96才。「本当に幸せさぁ」が口癖。熱いお茶(ジャスミンの一種のさんぴん茶+緑茶のブレンドが基本)とおやつが大好き。
基本的にだいぶ元気で、「風邪を引いたことが無い」のが自慢。(息子である父も同じことを言っているから、風邪を引きにくい血筋なのか? 私は毎年引きます…)。定期的に通う眼科以外には、ほとんど病院に行っていない。介護認定も受けていない。
毎朝、欠かさずヒヌカン(火の神)に家族のお祈りをする。※ヒヌカンは、台所をつかさどっていて、家を守り、家族の健康を守ってくれる、とされている神様。沖縄ではメジャーで、結構な割合(感覚的には周囲の半分以上)で、持っている家が多い。
テレビが見れなくなった今、民謡のラジオ番組を聞くのが、一番の楽しみ。
今は亡きオジィと、農家をしながら5人の子どもを育て上げた。勉強は大好きだったけれど、家が貧乏で小学校までしか行けなかった。昔の話はあまりしたがらず、戦争のことは一度も口にしたことがない。
甘やかされまくる
私の実家はオバァの家と敷地が一緒。両親は共働きで忙しくて、私は1歳で保育園に入るまで、日中はオバァが育ててくれた。学校に行きだしてからも、放課後はオバァの家へ。病気か、というくらい忘れ物を連発していた私は、オジィとオバァに学校に忘れ物(体育着とか)を届けてもらったことが数えきれないくらいあるらしい(それも忘れてます)。母に怒られて家を追い出されたら、速攻で隣のオバァの家に避難。オバァはいつでも優しくて、何もしなくても「頑張っているねぇ」「凄いねぇ」と甘えさせてくれた。怒られたのは、一緒に遊んでいた妹が転んで目にケガをしそうになった時だけだ。
オバァはよくおやつを作ってくれた。サーターアンダギー(ドーナツみたいな沖縄の揚げ菓子)やポーポー(薄いお好み焼き)、ぜんざい(黒糖で煮た豆と麦、煮汁に団子が入っている)、野菜天ぷら(衣が厚いかき揚げ。玉ねぎとにんじん、ポークが入っていた)、うむくじプットゥルー(イモくずを水で溶いて焼く。ネギ入り)など、手作りのおやつもよく作ってくれた。私は、その中でも、団子が大きくて柔らかくてたくさん入っているオバァが作るぜんざいが大好きだった。
ぐんぐん育って大人になり、アラフォーになっても、無条件にオバァは優しい。特に成果を上げなくても「仕事頑張っているねぇ」とほめ、スーパーのお菓子を買っていくと「こんなにお金使わないんでいいんだよ」と気づかい、帰りがけには必ず「来てくれてありがとう」と言う。
日々、老いは進む
そんなオバァは、ここ最近、老いている。最初は、危ないからと火の前に立たなくなった。それから、だんだん腰が曲がっていって、歩くスピードがゆっくりになっていった。目が徐々に見えづらくなり、好きだった新聞を読めなくなり、テレビも見なくなった。人の顔も、ほとんど見えていない。みんなで集まってご飯を食べていても、会話の輪に入ることが少なくなった。
それでも、今年の頭までは庭に出て雑草を抜き、毎日おけを使って手で洗濯をしていた。それが、最近、歩くのも難しくなって、庭に出ることが無くなった。最後までしていた洗濯も、しなくなった。トイレも食事も自分でするけれど、同居しているおばさんの介助が無いと移動することができない。日々、老いは進んでいる。
今、一番したいことは、オバァとお茶を飲んでおしゃべりをすることだ。まぁ、しゃべることはそんなにないんだけど。
私「お茶、おいしいねぇ」「今日は暑いねぇ」「体の調子はどう?どこか痛くない?」。ほぼ定型だ。
オバァも、「お茶おいしいねぇ」「暑いねぇ」「オバァはいつもおいしいものを食べているから、元気だよ」と、ほぼ決まっている。
まぁ、オバァも私もおしゃべりではない。実は10代~20代初め、話すことが無さ過ぎるのが気まずくて、お茶に行かなくなっていた時期も何年かある。でも、何も話さなくていい。一緒の時間を過ごせばそれでいい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?