1990年8月 研修の名のもとにソ連・モスクワと各地 04
【まとめ】さらにモスクワでのまじめな?授業風景と日常?生活
8月13日(月)
午前 授業
A・N先生にぞっこん?なM氏、先生の言葉の合間に何かと茶々を入れるせいでついに、「Тихо!チーハ!(しずかに)」とたしなめられるまでに。
それまでM氏は初級クラスの仲間から「Дядяジャージャ(おじさん)」と呼ばれていたのだが、この日から「チーハジャージャ」と呼ばれるようになった。ひどい時には「チーハ××(実名)」とも。しかしいつそう言われてもうれしそうな顔をしていた。何故だ? ジャージャ!
午後 記憶なし。誘われてサッカー見に行ったのこの日かな。ЦСКА対ПАMИЛ。応援が「ちぇ、す、か!ちぇ、す、か!」と響く。時折
「ま、ら、でぃえっつ!(よくやった、でかした)」も。
8月14日(火)
午前 授業
せんせい、新しくできたマクドナルドに行ってみたいです、という生徒がいたおかげで、(先生は微妙にいやがっていた)、午前中は実践?ということでみなでモスクワ・マクドナルド一号店に。大きな公園の周りにぐるりと行列ができている。そこに皆で並ぶ。
ようやく入れたが、店内は案外暗く、メニューを指さしてこれ、と言っても「нeтニェット ない」というものばかり。ようやく残された選択でチーズバーガーとシェイクを頼む。店内にぽつりぽつりと空いている席に分散して食べる。うん、ふつうにマックの味でしたがな。まだちょっとスマイル0円の域には達していなかったが、あんだけ忙しいのだから仕方ないか。
行列は今では町の風物詩らしい。先生、いやがってたわけだ。ついて来てくれたけど。一度行けば十分だね。
午後 初級クラスの若者(現役学生)たちからモスクワ川クルージングに誘われていたのだが、同室のAちゃんと少し昼寝しよっか、と寝てしまい、結局寝過ごす。何度も部屋にかかってきた電話にようやく出て平謝り。その後、Sさん、AちゃんとタクシーにてГостиница ホテル・ウクライナ(2024現在ラディソンロイヤルホテル)へ。
ここに行くまでにタクシーを拾ったのだが、結構高い料金を提示され、負けてと(ロシア語堪能なSさんが)交渉したがニエット、と。Aちゃんが「ごるびーに言いつけるぞ!」とおどした(Sさん几帳面に伝えてくれた)ら、運転手は苦笑いしてた。結局交渉はどうなったか忘れたけどタクシーには乗った。
スターリン様式と呼ばれる重厚な建築物。中も装飾が華美。
イランからの観光客がロビーでうだこいていて、私らにどう今夜一緒に飲まない?と声を掛けてきたが
「We children,Midnight no!」と断る。
8月15日(水)
午前 授業
午後 AちゃんSさんなどとトレチャコフ美術館(新館)、Дом Книгиドームクニーギ(本の館)へ。
途中でキエフ駅も見物。ロシアの駅名は、目的地ごとに名前がついているらしい。なので大きな鉄道駅が市内のあちこちにある。
この頃、Aちゃんのジーンズ(に描かれた各ロックバンド名)を見て、俺、それ知ってるよ! と急に声をかけてきたおっさん(あんちゃん?)がいた。なんでも、モスクワでコンサートをやったバンドらしい。それから彼、急に「君たち、ベトナム人?」と。いやー近いけど惜しい。
あと、メトロに乗ると必ず駅停車前に聴こえる不思議なイントネーションのアナウンスにもAちゃんとふたりでハマり出した。「Осторожно! アスタロージュナ!(ご注意ください) следующий станция…Каховскаяスリードゥユシィィ スタンツィヤ カホーウスカヤ(次の停車駅はカホーウスカヤ)」とか、ついつい復唱してしまい、周りの乗客から生温かい笑みをもらっていた。
8月16日(木)
午前 授業
午後 ノヴォディヴッチ修道院見学(また)、ベリョースカ(外貨専門売店)。
修道院近く、雨宿りしたどこかの建物裏手。
この頃だったか、AちゃんとKさん、ゴルフやりに近隣のゴルフ場へ行ったらしい。後で話を聞いたら、ぬかるんでいて足がくるぶしくらいまで沈んでしまったとか。でもマクドナルドの出前ができたって。
8月17日(金)
午前 授業最終日
午後 アルバート街とまた、ドームクニーギへ。
アルバート街をスモレンスカヤ通りの方から歩く。店の前にはたくさんの人びとが出店を出している。マトリョーシカ、小箱、ブローチ、絵、木のスプーンなどなど。金属製バッヂは4つで3ドル。ひとつ3ルーブル(75円位)。
スカーフ300ルーブル(7500円)、美しいチェスセット300ルーブル、そろばん(装飾品的なざっくりしたもの)25ルーブル(625円)。
ゴルビーが一番外側になっている歴代の指導者マトリョーシカ(350ルーブルまたは30ドル)もたくさん売っているが、ゴルビーだけは見えない所にしまってあって、他のを出して並べている。
建物になった店にも入ってみる。バンドなし時計(デジタル)550~560ルーブル、毛皮の帽子450ルーブル。
ペプシ200mlが20K(5円)。
ドームクニーギの近くで、ゴルバチョフとエリツィンの等身大像(板)と写真を撮る所があった。1つ15ルーブル。
ゴルビーの方が圧倒的人気。私たちくらいおのぼりさん的な東洋系少女らがふたりでゴルビー像と写真を撮っていた。
アルバート通りではランバダの演奏、バッハの曲、クラッシックギター、講釈師など多彩な出し物をやっていた。
夜には、さよならパーティー。
それぞれのクラスで習得したロシア語を駆使した?出し物を用意する。
初級クラスの私たちは、先生から特訓された歌をみんなで歌う。
オイダニヴェーチェルという曲。もち、カタカナで覚えた。
オーイダニヴェーチェルダニヴェーチェル
ムニェマリンマロスパローシ
ムニェマリンマロスパローシ
オーイダヴァスニェプリヴィヂェラーシ
ムニェマリンマロスパローシ
オーイダヴァスニェプリヴィヂェラーシ
ムニェヴァスニェプリヴィジェラーシ
ヴッダ コニモイヴァラノーイ
ラズィグラルシャ ラスプリャサルシャ
オーイダラズリェズヴィルシャパダムノーイ
ラズィグラルシャ ラスプリャサルシャ
オーイダラズリェズヴィルシャパダムノーイ
原詩のコピーが残っておらず、メモで書いてあったカナ歌詞のみ。
ゆったりと哀しげな、子守唄チックな曲だった。
夕暮れ時にうたた寝して夢をみました、的な、と聞いた気が。
夕食は豪華に、肉野菜チョウザメなど。
Aちゃんの友人である青年Пくんがお別れに、とホテルの部屋を訪ねてくる。10分で帰る、と言いながらホテルの部屋にある電話を借りたい、と言ってそこからずいぶん長々と誰かと話している。
(後から知ったのだが、外国人客のいるホテル室内からモスクワ市内に電話するのは無料らしい)
Aちゃんは怒って他メンバーの部屋に行ってしまう。
Пくん長電話中、私はスーツケースの荷造りを。明日出立の準備。
スーツケースにやっと物が収まる。
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