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【創作大賞2024恋愛小説部門応募作】『もう、忘れていいよ』(完結)


#創作大賞2024 #恋愛小説部門

「もう、忘れていいよ」
この言葉に
きっとあなたも救われる

第18章『君といつまでも』

 美和子と南原は、南原の実家の近くにマンションを借り、そこに引越しをして行った。
節子と劉は中国への帰国を2週間後に控えて、準備に追われていた。
葵も仕事に完全に戻った。
俺は大学の授業がない日は、たいてい蓮の面倒を見ている。
蓮を取り上げた助産師の女性が、訪ねてきた。
リビングで節子が蓮を抱っこしながら、助産師の女性がコーヒーを飲む。
助産師が俺が淹れたコーヒーを、とてもうまいと褒めてくれる。
節子はオッパイに出てしまうので、コーヒーなどカフェインの入った物を控えている。
助産師の女性に聞いてみた。
「どうしてこのお仕事を選んだんですか」
助産師の女性は生き生きと語りはじめた。
「看護師の研修で、私達は様々な専門の病棟に行きます。病院ですから患者さんは、病気の方ばかりです。患者さんの死に直面することもあります。その中で助産師だけが、生命の誕生を扱うのです。赤ちゃんの誕生という喜びを一緒にわかち合えて、笑顔に出会えて沢山おめでとうをいってあげられる。こんな素敵なお仕事はないと思いました。助産師は私にとって天職だと思っています」
天職。この言葉だ。
蓮が誕生した時の、助産師の女性の生き生きした姿を思い出す。
さらに聞いた「天職って、どういう意味ですか」
「私にとって助産師の仕事が、私の人生で果たすべく使命かと。この仕事に巡り合うためにこの世に生まれてきたと心から思います。また、生まれ変わることができるなら、再び助産師になりたと思います」
生まれ変わってもなりたい仕事って、何だろう。そこまで考えて仕事をしてこなかった。ただ会社が大きいとか、給料がいいとか条件だけで決めていた。
これから自分が目指す、臨床心理士が自分にとって、天職だといえるようになりたい。

 その夜、昼間助産師から聞いた話を葵に話すと葵が
「天職ね。私もまだ天職とはいい切れないけど、今のお仕事はすごく楽しいし、私に向いていると思うの。好きなことを仕事にできるって、そう簡単にできることじゃないしね。だから私は今すごく感謝しているの」
といい葵は、なぜ今の仕事に巡り合ったかを話しはじめた。
「亡くなった彼は私達が、知り合った頃から、宇宙飛行士になるのが夢だといっていたの。私は彼がいつも語る、宇宙や星の話しが楽しくて大好きだった。
自然に宇宙に関することに興味を持つようになり、彼の夢が私の夢になっていったの」
葵は “まつ”との思い出を話す時は本当に嬉しそうに話す。
その葵の姿を見ただけで “まつ”と葵の強い絆に大きな壁を感じて怯んでしまう。
俺の気持ちにはきづかずに葵は続ける
「彼はずっとその夢を持ち続けて、その情熱を日に日に大きく膨らませて、アメリカへと渡ったの。私も彼を応援することが楽しくって、嬉しくって仕方なかった。彼が望むことは、なんでもしようって思ったの。私達はふたりでひとりというか、お互いどちらかが欠けてもダメだと思っていたの」
そこまで思っていた“まつ”が死んだんだ。葵がおかしくなるのは当然だろう。
「だから彼が死んじゃった時、私の心も死んでしまったようだった」
「今だからその葵の気持ちわかるよ。俺も親父が死んじまって、もう何もする気になれなかったもんな」
葵は小さく微笑み
「ある日私に手紙が来たの。彼と一緒によくNASAの宇宙ステーションに見学に行ってた時に知り合った、宇宙開発の関係者の方が、日本で新しいプラネタリウムのプロジェクトにアドバイザーとして参加していて、オープニングスタッフで解説員を募集していると。ある程度宇宙や星に詳しい人ということで、私を推薦したいといってくれたの」
「そうだったんだ」
「最初は断ろうと思ったの。彼が亡くなったことや、私の病気のことを正直にお伝へしたら、返事が来てこの仕事は亡くなった彼が果たせなかった夢を君が果たすために、彼がくれた天職だって。だから絶対に君はこの仕事を受けるべぎだっていわれたの」
「そういわれたらそうだな」
「私もそうだなって心から思えて、やらせてもらうことにしたの」
「俺も葵は今の仕事、天職だと思うよ。はじめて葵の上映を聞いた時から、そう感じていたよ」
「ありがとう。そうやって人生って、開けて行くのね」
俺だってまどかが死んで、忘れさせ屋になって、今は臨床心理士を目指している。運命は最初から決められているって思っていたけど、最近運命は自分で変えられるって思うようになった。

 珠枝の部屋で荷物の片付けをする節子を手伝いながら、蓮の面倒を見ている。
蓮も2ヶ月が経ち、よく笑いよく大きな声を出すようになった。
「蓮に恋人ができたっていったら、間違いなくその男のストーカーになって蓮を守るよ」
節子が笑って
「そんなこといって。自分の子どもが生まれたら、そっちが大事になるわよ。親はわが子が、一番なんだから」
「節姉は何で教師になろうって、思ったの」
節子は片付ける手を休めて
「う~ん。人を育てるのが、好きだからかな。子どもの頃から、美和子や哲也の面倒見てきたからっていうのもあるしね」
「そうだな。節姉は俺たちにとって、小さいお母さんだったしな」
節子が懐かしそうに思い出しながら
「先生になりたいって思ったのは、小学校5年生の時の担任の女の先生の影響かな。哲也も美和子もまだ小さくてお父さんも、ほとんど家にいなくて。
あの時は、お母さん大変だったんだよね。今は自分が母親になって、お母さんの大変さが、よくわかるけどね。私も子どもだったから、よくお母さんを困らせていたの」
「節姉が?ホントかよ」
「いつも心の中が寂しさで一杯で、友達に八つ当たりしたり、わざと宿題しなかったり。ある日学校の教室で飼っていた、金魚の水槽をわざとひっくりかえして、金魚を死なせてしまったの。その金魚は担任の女の先生が、私達にわざわざ買ってきてくれて、クラスのみんなも、大切に育てていたのにね」
いつも優等生の節子に、そんな過去があったとは心底驚いて
「節姉がそんなことをするなんて」
「その担任の女の先生が、放課後にふたりっきりで、どうして私がそんなことをしたのか、怒らずに優しく聞いてくれたの。私は泣きながら自分の心に溜まっていた物を全部、吐き出したの。そしたら先生も一緒に泣いてくれてれてね。私をぎゅうって、抱きしめてくれて『寂しかったね。辛かったね』ってずっと背中をさすってくれたの。その温かさに私の心は、軽くなったの」
「そうだったんだ」
「その時に私もこの先生のように、人を励まして育てていける、先生になりたいって思ったの」
「節姉はもうなってるよ。劉がいってたよ。節姉は教師である前に、一人の人間としてどんな人にも平等に人を慈しみ、尊敬できる素晴らしい人だって。劉は世界各地を回り、人種差別を沢山受けてきたから、わかるともいってたよ。誠実な節姉が人を育てるんだ、まさに天職だな」
「そうね。この仕事は私の生涯をかけて、取り組むことだと思っているわ」
「俺の回りには、とても尊敬できる人ばかりだな」
「あら我が弟の哲也さんも、なかなかスゴイですよ」と節子と笑った。
蓮も一緒に笑っている。

劉を銭湯に誘い、背中を流してやる。
俺の背中も劉が流してくれる。
ふたりで並んで、湯につかる。
湯船の背景に富士山の絵が描かれている。
その絵を眺めながら劉が
「吉川英治の『宮本武蔵』の話を読んだことがありますか」
「ごめん。ないわ」
「私が高校生の時、自分の進路に迷い、悩んだ時に父がこの本を通じて、教えてくれました。この本の中に『あれになろうこれになろうと、焦るより、冨士のように、だまって、自分を動かないものに作りあげろ』とあります。父も若い時に日本に留学していて、進路に迷った時に、恩師の方からこの本を贈られ、こう励ましていただいたそうです」
壁に描かれた古ぼけた富士山の絵を見る。
劉は湯に浸かっているからか、すこし紅潮して
「『富士山は、日本一高い山です。富士山は、どんな嵐の時でも、いつも、少しも動かず、堂々としています。君も、どんなに辛いことや、苦しいことがあっても、富士山みたいに、堂々と自分の信じた道を真直ぐに歩み、強い自分になってください』と励まされたそうです。それで父は外交官となりました。私も父からこの話を聞き、いつかこの日本一の富士山を見に行こうと決めました」
「劉が日本に来たのは、そんな背景があったのか」
劉が頷き「哲也は富士山に登ったことがありますか?」
「いや、ないんだ」
「そうですか。じゃあ葵さんと一緒に登るといいですよ。私は一度登りましたが、日本一の山から見る景色は最高です。是非体験してください」

 実家に帰り部屋に戻って葵に今度の休みに一泊で、富士山に登ろうと提案した。
劉から聞いた、冨士山の話をした。
前に葵から貰った『世界の星空』の写真集の中のあるページを開いた。
富士山の山頂から見える星空の写真だ。
「前に葵にいったよな。写真じゃなくて物語じゃなくて、本物を見に行こうって」
「ええ、いったわね」と葵が微笑む。
「だから、この景色を一緒に見に行こう」
「うん。わかった。行きましょう」
提案に葵も快諾してくれた。この旅行を自分達の未来を開く、大きな転機としようと決意した。

 休みの日にレンタカーを借りて、葵と一緒に富士山に向かった。
車の中で代わる代わる、ヒット曲を歌って盛りあがった。
葵も年代が同じで、聞いてきた曲が同じだから、懐かしい曲から最新の
Jポップまで、大声でふたりで歌いまくった。

車を走らせ4時間、富士山の五合目に到着した。
今晩はここで予約した、ロッジに泊まり、ここから早朝に出て、山頂を目指すツアーに、参加することになっている。

 近くのホテルで食事と風呂を済ませて、ロッジに帰ってきた。
ここは夜になると寒くなり、暖房をつけた。
ふたりで毛布にくるまった。
「寒いな。葵、寒くないか」
といって自然に葵を抱き寄せる。
葵も素直に身を任せる。
このまま寝るのはもったいないと思い、持って来たギターをケースから出す。
「何かリクエストある」
葵は少し考えて
「哲也の好きな曲でいいよ」
好きな男性アーティスとの曲をギターで演奏しながら、一生懸命に歌う。
葵もうっとりとした笑顔で聞いている。
歌い終わったら鞄から、みかん色のずんぐりしたキャンドルを出して、キャンドルに火を灯して、今の自分の気持ちを話した。
「このキャンドルの炎は今にも消えそうだよな。息を吹きかけたらすぐに消えてしまう。だから、手のひらで炎を囲って風を防ぎ、炎がだんだん大きくなるのをじっと待つ」
葵がじっと真直ぐに見つめている。
「このキャンドルの炎が葵で、それを守る手が俺なんだ。今はまだ葵の心の中に亡くなった彼がいても構わない。俺は手のひらで葵の心の炎をこうして囲って、葵の心の炎がだんだん大きくなって、俺の心の炎に燃え移るまでいつまでも待つよ」
「……哲也」
キャンドルの揺れ動く、炎をふたりでしばらく見つめる。
葵が静かに
「哲也。私の彼のことは『もう、忘れていいよ』私は今目の前にいる、哲也だけを愛しているから」
葵とじっと見つめ合い、そして長いキスをした。
葵の柑橘系の香りがした。
俺たちは心も体も、深く結ばれた。
葵とひとつに繋がりながら、いいしれない快感の中で思った。
今俺たちは宇宙と繋がっている。
漆黒の闇の宇宙で、俺と葵がふたりが繋がったまま漂う。
いつまでもいつまでも、君とこうして繋がっていたい。
「葵といつまでも、こうしていたいよ」
葵も小さく「私も……」
窓辺に置かれたオレンジ色の炎が、いつまでも揺らめいていた。

 早朝に葵とロッジを出発し、山頂を目指すツアーに参加した。
あたりはまだ暗く、満天の星が煌いている。
10人ほどのツアー客に混じって、俺たちはしっかりと手を握り合って、ゆっくりと歩く。
ここから山頂まで、数時間の登山だ。
途中の8合目で、ご来光を拝む。
強烈な太陽の光に圧倒されながらも、手を合わせて拝む。
に巡り会い、愛し合うためにこの世に生まれてきたんだ。

この地に立ち、そう確信した。
きっと葵も同じように感じていたと思う。
俺たちの心は、しっかりと繋がっていた。

 富士山登山から、実家に戻った。
その感動を劉と節子に、興奮しながら話した。
明日、劉と節子、蓮は中国に帰国する。
最後の晩だからと珠枝の部屋に節子と蓮と葵、俺の部屋で劉とふたりで寝ることにした。
劉と並んで寝ながら
「劉に教えてもらって良かったよ。でなきゃきっと俺は、富士山に登ろうなんて思わなかったよ」
「それは良かったです」
「俺と葵、本当に繋がることができたよ」
「そうですか」
「葵が俺にいってくれた。『もう、まつのことは、忘れていいよ』って」
「葵さんが、そう、いいましたか……」
「今は目の前にいる俺だけを、愛しているって」
「………」
「これで、いいんだよな」
「いいんですよ」
「色々あったけど、全部いい方向に向かっている」
「そうですね」
「ありがとう」
「こちらこそ、シェイシェイ」
「寂しくなるな」
「どこにいても私たちは、深く繋がっています」
「富士山に登って思ったんだ。親父と母さんが、果たせなかった夢を叶えようって」
「そうですか」
「いつになるか、わからないけどね」
「哲也なら、絶対にできますよ」
「ああ、絶対に実現するよ」
下から蓮の泣き声がする。
「いいよ、これでしばらく蓮とも会えないんだ。俺が行くよ」
「では、お願いします」

 下のリビングに行くと葵が、蓮をだっこしてあやしている。
葵が困った顔をして
「ごめん。起こしちゃった。節子さん疲れているから、私がみるっていったんだけど」
少しぎこちない、葵の抱き方にむずがる蓮。
俺がだっこすると蓮は、途端に泣きやむ。
「あら、蓮ちゃんたら。もう女の子ね」
蓮を抱っこして、葵と並んでソファに座る。
蓮は腕の中でスヤスヤと眠っている。
「このかわいい蓮とも、しばらく会えないと思うと寂しいな」
「そうね」
「自分がこんなに子どもが好きだと思わなかったんだ」
「そうなの」
「節姉にいわれたよ。今は蓮が一番かわいいって思っているけど、自分の子どもが生まれたら、そっちが一番だってさ」
「私、あの富士山のご来光の時に何をお願いしたか、教えてあげようか」
「教えてくれるの」
「私、あの時、……哲也の子どもを産ませてくださいって、お願いしたの」
「えっ、そうなの?」
「そうお願いしました」
「そうか。そんなこといわれたら、無性にしたくなった」
葵が慌てて「やだ、ダメよ」
「あ~我慢できないよ」
「いけません。我慢してください」
本当にしぶしぶ
「は~い。我慢しますよ。男はじっと、富士のように動かず我慢」
と自分にいい聞かせるように呟く。
微笑み合い、短いキスをした。
蓮の寝顔が、微笑んだような気がした。

 翌日俺がレンタカーを運転し、劉と節子、蓮と葵を乗せて成田空港へと向かう。
蓮と話ができるようになりたいと、劉に中国語の講義を頼む。
車の中で劉が、中国語講座をやってくれる。
皆で中国語の発音の練習をする。

 成田空港に到着し、荷物を航空会社のカウンターに預ける。

南原の実家近くに帰った美和子と南原と、空港のレストランで合流する。
それぞれが、飲み物を注文して、落ち着いた所で、こうやって皆で集まる機会もないからと話を切り出す。
「節姉、美和子に相談なんだけど、もうすぐ大学院が始まる。そこで2年間勉強した後、アメリカに留学しようと思うんだ。そうなったら、実家も誰かに貸すか、処分しなきゃいけない。ふたりが賛成してくれるなら、ここで実家を処分しようかと思うんだ」
節子はすぐに「私は構わないわ。賛成よ」美和子はちょっと躊躇(ちゅうちょ)するが「少し寂しいけど、いいよ。あの家の名義は哲也だからさ」
「ありがとう。実家を処分したお金と、珠枝が残してくれた保険金を合わせて何年先になるかわからないけど、喫茶店をやりたいと思うんだ」
美和子が驚き
「哲也が喫茶店。せっかくカウンセラー目指すのになんでまた」
「母さんが亡くなる前に、俺にいったんだ。喫茶店を開くのが夢だって」
「そういえば、そんなことお母さんいってたわね」と美和子が思い出すようにいう。
「親父も母さんの夢を叶えるのが、自分の夢だっていっていたんだ」
節子がしんみりと「お父さんがね」
「だからふたりの夢を叶えてやりたい」
節子が大きく頷き
「それで哲也がいいのなら、私は賛成よ」
美和子も「私も賛成」
いたずらぽく笑い
「でも、ただの喫茶店にはしないさ」
「どういうこと?」美和子が聞く。
「カウンセリングが受けられる喫茶店さ」
黙って聞いていた劉がコーヒーを飲み欲し「カウンセリングができる喫茶店とは何ですか」
「喫茶店で気軽に友達同士や家族、勿論、ひとりでも来てもらって、何か話しを聞いて欲しい場合は、その場で予約ができて、俺のカウンセリングが受けられるってシステムさ」
南原も身を乗り出して
「それいいですね。僕できたら是非お願いします」
美和子が南原の反応に
「ヤダ~和君、何か悩みでもあるの」
南原が真顔で美和子に
「あるわけないじゃないですか、こんなに幸せなんだから」とのろけ合う。
みんながどっと笑い合う。
劉が話をまとめるように
「素晴らしい、アイディアだと思います。これで亡くなったご両親も、喜ぶでしょう」
「みんなの理解が得られたので、俺の話はこれでおしまいです」
美和子が笑顔で手を挙げて
「は~い。私からも、報告があります。今年の末にママになります。今、3ヶ月に入ったところです」
俺が南原に
「頑張ったな。待てよ3ヶ月ってことは、あれだな。うちの実家でつくったってことかな」
南原が真っ赤になり
「すいません。そうです」と深く頭を下げる。
さらに笑って
「冗談だよ。新婚なんだから、当たり前のことさ。な、劉」
話をふられて劉が
「みなさんそれぞれが、新しい出発ですね。後は葵さん。哲也をしっかり支えてあげてくださいね。この男こう見えても、もろいところがありますから」
全員の視線が一斉に葵に集中する。
一瞬戸惑う葵だが、すぐに笑顔になり
「はい。お任せください」
といって俺を見る。
俺も葵を見つめる。

出発する人、見送る人で、混雑している出発ロビーで、劉と節子、蓮を、葵、美和子、南原で見送る。
人目も気にせずに、劉としっかりと抱き合い
「劉という生涯の親友に出会えて、最高に幸せだよ」
「私もです」
お互いの健闘を称え合い、生涯の友情を誓い合った。
蓮を抱きあげ
「蓮。俺を救ってくれた天使よ。いつまでもこのままの蓮でいてくれよ。ありがとう」
節子にも、軽くハグして
「小さいお母さん。本当にありがとう。この恩は一生、忘れないよ」
「哲也の信じた道を、哲也らしくね」
「ああ、頑張るよ」
それぞれが別れを告げて行き、劉と節子、蓮は、搭乗していく。
3人を見送るのを葵は、背中をそっと支えてくれる。
俺と葵が、美和子と南原を見送る。

「ちょっと付き合って欲しいんだ」と葵にいい、航空会社のカウンターに行く。
制服姿の真紀が、丁度接客が終り気がついて「あら~哲也、久しぶり」
簡単に節子たちの見送りできたことを話し、葵を紹介する。
葵と真紀は、お互い簡単に挨拶をする。
真紀が左手の薬指にはまった、指輪を見せながら
「私も晴れて人妻となりました」
「おめでとう。またみんなで飲もうな」
「哲也たちは、いつなの?」
「えっ?」と俺は真紀を見る。
真紀は葵を見て当然というように
「だって、こちら婚約者じゃないの?」「まぁ、これからさ、いろいろと順番がありまして」と照れていう。
「新婚旅行の際は、是非当社をご利用ください。最高のサービスをさせて頂きます」
「その時はよろしく」
葵もペコリと頭を下げる。
「はい、喜んでお受けします」と意味深顔で真紀がいう。

 空港の駐車場に停めてあった、レンタカーに葵と乗り込む。
「さっきの真紀さん、楽しい人ね。哲也の昔の恋人」
簡単に真紀とのことを話す。
「そうなんだ。男の人って、やっぱり巨乳が好きなの」
といって、すこし葵が膨れる。
「そんなことないよ。葵みたいに丁度いい大きさが一番だよ」
「そう、ならいい」と笑い合い。
「そういえば、大丈夫だった」
「えっ、何が」
「いや、葵とここで、初めて会った時のように、気分が悪くなかったかなって思ってさ」
「哲也。そのことは『もう、忘れていいよ』って、いったでしょう。しつこいよ」
「ごめん。そうだね」
「哲也が忘れさせてくれたんだよ」
「えっ」
「私の彼に対するこだわりを」
「そうか、これで俺の『忘れさせ屋』も葵で終りだな」
「いいえ、続けて」
「えっ、何で」
「これからも私のように、恋愛に傷ついた乙女たちを救ってあげて。但しその相手と恋に落ちないでね」
「そんなことある訳ないだろ。俺がこれから愛するのは、葵しかいないんだから」
葵と車の中で長いキスをした。

帰りの車の中で、葵は助手席で眠ってしまっている。
運転をしながら考えた。
俺の天職って『忘れさせ屋』か。
空からポツポツと雨が降ってくる。
ラジオから偶然あの曲が流れてきて、ひとりで歌う。
「♪はじまりはいつも雨 星をよけて」

 それからしばらくは、実家の売却の手続きや、大学院の授業、引越しの準備で忙しかった。
葵の所に居候しようかとも考えたが、葵の父親に遠慮し、葵の部屋の近くに部屋を借りた。
お互いの家を行ったり、来たりして過ごした。

 実家の売却も済み、新しい生活にもすっかり慣れた。
嬉しいことに珠枝が俺たち、兄妹に莫大な保険金を残してくれた。
これから先、お金に心配しないで、勉強ができる金額だった。
ここで改めて、珠枝に感謝した。
部屋で食事を作ってくれている葵に
「来月3日間くらい、仕事休めるかな」
葵が支度の手を止めて
「えっ、どうして?」
「ちょっと付き合って欲しい所があるんだ」
「いいけど、遠いの?」
「ああ。北海道」
「北海道?」
「親父の夢を叶えてあげたいんだ」
「お父さんの夢」
「親父が亡くなる前に親父の夢は、何って聞いたんだ。そしたらひとつは、母さんと一緒に喫茶店をやること。そしてもうひとつは」
「もうひとつは?」
「もうひとつは桜の木の下で、母さんにプロポーズすることだったんだ」
「桜の木の下でプロポーズ?」
和雄から聞いた、珠枝とのプロポーズのエピソードや、北海道のさくら守の話をした。
「ステキなお話しね」
「この話はこれで終わらないんだ。親父が行きたかった、その桜の咲く場所を調べたら、そこは墓苑の中にあるんだよ」
このような偶然があるのかと驚いた。
部屋の隅の祭壇に置かれた、和雄と珠枝の遺骨。
我が家には、お墓がなかった。
そしてこの墓園には、今の俺でも楽に購入できるお墓があり、迷わず購入した。
和雄は珠枝にこれから自分達が入りたい、墓を見せたかったんじゃないかと。
だから納骨を兼ねて、行こうと思った。
葵は説明に驚き
「じゃあ、お父さんはお母さんに、これから自分たちが入りたいお墓の前で、プロポーズしようと思ったってこと」
「今となっては親父が思っていたことは、わからないけどな。親父の考えそうなことだよ」
「私はお父さん、ステキだと思うわ。だってこのお墓で、永遠に一緒に眠りにつこうって。深い意味があるわね。人生2度目のプロポーズ」
「たがら、葵にも一緒に納骨に付き合って欲しいんだ」
「喜んで行かせてもらうわ」
「これで俺も、親父に償いができるかな」
「最高の親孝行じゃない」

葵と一緒に北海道に飛行機で行き、空港からレンターカーを借りて、目的地までのドライブを楽しんだ。
葵も初めての北海道の雄大な自然に、心が弾んでいるようだ。

 途中予約した、ホテルに泊まった。
ホテルを早朝出て、再びレンタカーで出発した。
何しろ北海道は、本当に広い。
お昼までには、目的地に着きたい。
逸る気持ちを抑えて、車を飛ばした。

ホテルを出発して、やっと昼近くに目的地に到着した。
墓苑にもなっている敷地内に、その見事な景色は広がっていた。
あたり一面、桜が満開だ。
ここまで荘厳なさくらを見たことがない。
園内は観光名所にもなっているようで、たくさんの人で賑わっている。
ここで和雄と珠枝は、望み通り永遠に夫婦として、過ごすことができる。
墓苑の事務所で手続きを済ませ、事務所の人にお墓に案内してもらった。

『澤田家』と書かれた石盤は、外国の墓地にあるようなシンプルな作りの物だ。
鞄から以前家族で行った時に写真館で撮った、和雄と珠枝の写真を出した。
「親父どうかな。気に入ってくれたかな。母さんといつまでも仲良くな」
和雄と珠枝の笑顔の写真が、ありがとうと、いっているような気がした。
職員が和雄と珠枝の遺骨を並んで入れる。
敷地内にある花屋で、買った花を添える。
俺と葵で静かに合掌して、ふたりの冥福を祈った。
これで和雄の夢を叶えることができた。
人生2度目のプロポーズ。
和雄最高に、カッコイイよ。
振り返ると裾野に桜が見える。
「なんて素敵な景色なんでしょう。こんな素敵なお墓に入れたら、最高に幸せね」
そういう葵をそっと見る。

 墓から桜の園まで戻って来ると、満開のさくらが風にそよいでいる。
葵は感無量に満開の桜をしばらく眺めている。
葵が桜を見上げて
「お父さん、お母さん、とても喜んでいるでしょうね。ここでプロポーズするなんて、お父さんステキね」
葵の言葉を受けていよいよ、この時が来たと思う。
俺の人生の原点の日。
姿勢を正し真直ぐに葵を見つめ。
「葵、俺と結婚してください。そしてここの墓に一緒に入って欲しい」
そういってから、墓は余計だったかなと思った。
葵も俺を真直ぐに見て厳かに
「はい。喜んでお受けします」
「ありがとう。生涯、葵を大切に守ります」
「はい。私も生涯、哲也を支えます」
俺と葵はしばらく並んで、満開のさくらを見上げる。
まるで満開のさくらが、ふたりを祝福してくれているようだ。
和雄に導かれ、葵とここで生涯の人生を共にすることを誓いあった。

 人生に無駄なことはひとつもない。

 こうして俺のまるで奇跡のような
『忘れさせ屋の恋』はこの満開の桜のように見事に咲き、成就することができた。                 

                               おわり

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