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一線を越える 2


カラン、コロン。喫茶店にしては軽過ぎる音をたててドアベルが鳴る。開いたドアから、淡い紫の長袖長ズボンの小学生くらいの女の子が入ってくる。大きなあくびをひとつ。カウンター席に座って、箸立てと砂糖入れの間にある手書き風カフェメニュー表を広げる。部屋の中は暖かく、コーヒーの香りが漂っている。キッチン奥には女性がフライパンを動かして作業をしており、奥の窓際テーブル席には初老の男性が新聞を読みながらコーヒーを飲んでいる。今朝もいつも通りの朝の風景である。
メニュー表とにらめっこしていた小学生が気だるげに声を上げる。「牛乳とバター食パン。それから、いちごも」キッチン奥から女性がニコニコしながら振り返り、返事をする。「はーい。いちごは何個にしますか?」「3つで」答えながら女の子はどこからか漫画本を取り出して読み始める。姿勢が悪い。カウンターに靴下履の片脚を引っ掛けて、回転椅子をクルクル回転させている。初老の男性が眉をひそめて、しばらくそれを見つめる。つい黙りかねたように「危ないから止めなさい」と低い声をあげた。しかし女の子は素知らぬ顔で無視してクルクルと回っている。「こら!脚を下げなさい。」女の子の為に牛乳の入ったコップと食パンが載ったお皿を持ってきた女性が厳しい声を上げる。「はーい、ママ」
女の子が片手で食パンを掴み、大きな口を開け前歯でかじりつく。サクッ!いい音がした。女の子の片手は相変わらず漫画本を持って、目線も漫画本に釘付けになっている。パラパラとパンくずがこぼれ落ちる。溶けたバターの香りが強く香る。
女性がいちごを入れた皿を両手に一つづつ持ってきて、片方を女の子の前に置いた。もう片方は初老の男性の方へ持っていく。「最近は妙な事件ばっかりだ」新聞をめくりながら細い眉をひそめて男性が呟く。「また行方不明ですか?」コトリ。いちごの皿を置きながら女性が問う。「今度は主婦が行方不明だそうだ」「まぁ。怖いわね。先週は確か隣町の大学生が行方不明だと騒ぎになっていましたね」「もう4件も続いているからね『現代の神隠しか?!』と騒ぎになっている」男性は新聞の太字の見出しを指で指す。小声で囁き合う大人達を尻目に、女の子は片手でもう半分程になった食パンを齧りながら、目線はなおも漫画本に夢中である。女性は覗き込んでいた新聞から目を上げて、女の子の手元に散らばるパンくずを見とがめて「ちょっとパンくず零してるよ!」女性の小言も何処吹く風でマイペースで食パンを齧る。
「もう、いつまでパジャマでいるの!早く着替えて!急いで食べないと、もうトモ君が迎えに来る時間よ」
「おはようございます!!」無情にも玄関から元気な小学生の声が聞こえる。「ほら、もう来てくれたよ!」女性は慌てて女の子を急かす。女の子はのんびりとした様子で玄関へ向けて声を張った。「先行ってくださーい!」大人2人は揃ってため息をついた。

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