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ネタバレあり「君たちはどう生きるか」感想

 7月15日(土曜日)にTジョイ東広島で映画「君たちはどう生きるか」を見てきました。
 今回はネタバレありで感想を書いて行きます。

ストーリー



 舞台は太平洋戦争の頃の日本
 主人公の少年マヒトは火事で母親を失う。
 それから父親の仕事で山奥の村へ引っ越す事になり、そこで新しい母親である義母のナツコと出会う。
 しかし、ナツコに複雑な思いを抱くマヒトは心を開かない。
 そんなある日、青鷺がマヒトへ人の言葉でしゃべり出す。
 青鷺は森の中に立つ塔へ来るように求める。
 塔にマヒトの母親が居るのだと言う。
 塔への興味はあるものの、青鷺への不審さから塔へ行かないでいるとナツコが森へ行くのを目撃する。
 家に戻らないナツコを連れ戻そうと、マヒトは青鷺が待つ塔へ向かう。
 それがマヒトに不思議な世界での冒険の始まりとなる。

面白いかどうか



 「君たちはどう生きるか」を見る前は主人公に人生論を語るキャラクターが登場する「説教臭い」作品かと思っていました。
 ですが説教臭いと言う作品ではなく、少年マヒトが体験する不思議体験と新たな母親との和解と言うストーリーでした。
 キャラクターはそれぞれ魅力的だし、美術はさすがジブリの見事さ
 なのだが私は見終わった時に面白かったかとなると、「どうでしょう?」と言った思いになった。
 ストーリーは再婚による新たな母親との関係を軸に、マヒトが異世界で冒険すると言う内容だと理解はできたが世界観の突飛さと流れが要所で掴めない時もあった。
 どちらかと言うとインコの国やら積み木で安定する世界など、宮崎駿の独特の世界に圧倒され、「何を見たのかよく分からない」と言うのが正直なところです。
 個人的には終わりの締め方が「東京へ帰った」と言う台詞で終わったのが余韻が残らない終わり方で残念に感じた。
 

主人公へマヒト



 今回の主人公マヒトは口数が少ない。
 他人へ話すときは最小限であるものの、地元の子供達とケンカをした後に自分で頭に石をぶつけて「自分が被害者」だと見せる打算ができる性格である。
 この打算で父親は血相を変えて学校へ行き、お金を渡して学校へ行かなくても良くしました。
 またナツコの部屋にあるタバコを持って行き、使用人の老人へタバコと交換で弓矢の作り方を習います。
 このマヒト、すごく出来た人物だ。
 初めて会う人たちへ頭を下げ挨拶するなど、礼儀正しさもある。(ただし声を出しての挨拶はしない)
 未熟さが無い主人公だ。
 その一方で新たな母親への馴染めなさや、父親とナツコが抱き合いキスする場を見てしまい気まずい様子など子供らしい一面はある。
 そんなマヒトがナツコを取り戻す為に動くのは何故か?
 マヒトの口からは「父親の大事な人だから」と言っている。
 これはマヒトの打算ができる性格から考えると、ナツコが行方不明のままだと自分が怒られる可能性があるからではないだろうか。
 果たしてマヒトはナツコへ「お母さん」と呼んだ時も本心なのかは分からない。
 マヒトの父親は激情家で大事にする時は過剰な態度に出るものの、怒らせたら逆に厳しく当たるのかもしれない。
 それをマヒトは知っているし、そういう大変な目に遭ったのではないかと思われる。
 マヒトの父親に対しても冷ややかなのは、そうした感情で動く性格に呆れているのかもしれない。
 ラストの「東京へ帰った」で結ぶマヒトのモノローグは、彼が他者や物事に対して冷ややかな見方が変わっていないのかもしれない。
 あの冒険を経てもマヒトは変わらなかったのだ。

主人公一家についての考察



 マヒトの父親は軍需産業の会社を経営している。
 サイパン島陥落についても、悲壮感ではなく戦局の悪化でより注文が増えると意気揚々だ。
 そうした景気の良さは作中に登場する屋敷に現れる。
 屋敷の大きさのみならず、自家用車を持ち、ナツコの部屋の豪華さや食料の缶詰を使用人達に与える程だ。
 「この世界の片隅に」を見ていると別世界の暮らしぶりだ。
 こうした庶民とは違う環境に主人公を置いたのは、戦時における動員と主人公を離す意味があったのかもしれない。
 (だとしたら、戦後の昭和30年代でも良さそうだが)
 作中では零戦の防風(キャノピー)を屋敷へ運び込ませる場面がある。これは父親の仕事はこれだと見せるものと思われるが、宮崎駿の生家が戦時中に営んでいた航空機関連の工場が元ネタと思われる。
 では、この一家は宮崎駿の一家がモデルかと言えば違うように思う。
 自分の出自に近いもので主人公で作品を作りたかったのかもしれない。
 作品の終わりにマヒトの一家は弟が新たに加わり、4人となって東京へ戻ります。
 東京へ戻るのは戦争が終わって2年後とある。とはいえ服装からして貧しくなったように見えない。
 それでも敗戦による軍需産業の仕事が無くなった事から、事業の転換を余儀なくされたり、GHQからの財閥解体の影響で会社内の事業分離や精算をさせられるなど戦後の荒波を受けてもおかしくはない。
 けれども一家の様子から困難さは伺えない。
 あの父親の性格から、新しい仕事をすぐに見つけてGHQとも仲良くしてそうではある。
 だから戦後2年で東京に新しい自宅を構えて引っ越しができたのだと思われる。
 

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