消えた本文、の話。

つい先ほど、長々と書いていた記事が消えた。
内容は、今日何気なく眺めたTwitterで『パニック障害』がトレンド入りしていたことと、それにまつわるいち当事者としてつらつら思ったパニック障害の話だったのだけれど、中途半端に書いていた為、消えてしまうと再現が難しい。
書いた本人も最早雰囲気しか覚えていない。

書いている途中に頼まれた用事であれこれしていたくせに、下書き保存しないからこういうことになるのだ。珍しくまともなことを書いてるなあ、と悦に入っている場合ではなかった。

外で虫の声がする。
10月なのだから秋の音もするだろうと言われそうだが、普段の自宅ではまだセミの声が聞こえているし、ひまわりも見かけた。
一月ぶりの実家では季節が先行している。

パニック障害について、何を書こうとしていたんだろう?
件のトレンド入りは、Yahoo!でパニック障害と生きながら打点王にもなっている野球選手の方の特集記事があったからだと思うけれど、最近は本当に、パニック障害の認知度が上がってきているなあ。
だけど、Twitterを眺めていて思ったのは、当事者たちの訴えというかしんどさや、わかってもらえない感じというのは数年前とあまり変わっていないのでは?という点だった。
外から見たら、パニック障害は非常にわかりづらい。しかも個々に症状は微妙に違うし、併発している疾患の有無でも色々異なるものだから、当事者間ですら感じ方は様々だろう。

なったことがないひとにわかってもらえないのは、ある意味仕方ない。
風邪だって、熱・喉・鼻とか症状が違えば辛さも変化するし。
ひとの心の内は想像するしかないし。

逆に言えば「お願い、想像してくれ!」と思うわけなのだが。
根性と熱意で自律神経は思うがままに操れない。一度鳴らした警報器は即停止しない。

生きづらい、というのは苦しいし、できていたことができないのは悲しい。
病気であって免罪符ではないことを自分に言い聞かせながらやっていくしかない。

なんだか、こういう感じで記事を書いていたんじゃないかな。
忘れたんだけど。

健康が一番大事。こころも体も。
だけどしんどさがすぎると、いっそ病気や障害にカテゴライズされたいと思う気持ちがあることを、知ってしまった。不謹慎ではあるけれど、自分でも思う自分の違和感や欠陥部分に名前をつけて納得したいと思う瞬間を否定できない。

そういう話を、今日はしようと思ってたんだよ。多分。
洗いゴマをAmazonで注文してたら消えたけど。

読んでくれて、ありがとう。
下書き保存は大事だよ。

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