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有意義な話とは、の話。

休日が終わろうとしている。
国民の義務たる勤労精神を発揮すべき平日よ、こんにちは。
休日よ、また会う日まで息災であれ。

……と素直に思えるだけの気力がない。
何か文字を書きたいと紙と万年筆を並べたけれど、そわそわして言葉にならず、とある小説の一節を書写した。
知識が欲しいと、調べものをした。
何も考えたくなくて、スマホを握り、ゲームを立ち上げた。
何もかもがどこか違う。わくわくしない。
焦る気持ちだけふよふよと私の周りを漂い、心臓の辺りが忙しない。

もて余す焦燥感に対抗する術は知っている。
眠ってしまえばよいのだ。
何も考えず、しかしつらつらと別の世界を思う矛盾も布団の中なら許される。

こんな散文に足を止めてくれる人はいるのだろうか。
いたとしたなら、ありがたく、申し訳ない。
有意義な話などできる器量でないのだ。
そもそも有意義な話とはなんだろう?

私の今、最も専門というべき対象はおそらく高齢者福祉であるが、要介護度やら介護サービスについて私ごときが語らずともよかろうに。

つらつらと並べる文字が言葉になり、文が生じる。つらつらと連なるそれに、私はやはり焦燥感と、自分への義務感と、安堵を抱く。

ただ、書きたかっただけ。
結局のところ、それに尽きる。
有意義とは程遠いところを、今日も歩いた足跡を残して、

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