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ハロー、お元気ですか。こちら独り言です。

梅雨入りしそうでしない今日この頃。低気圧と湿度にやられて何だかやる気がでないなあなど、見方によっては呑気なことを考えながら、今日も生きている。
先日、採用面接を受けに行ったのだけれど、書類到着連絡が入ってからの書類選考、面接へのステップが丸一日で完結するというスピード感についていけず何だか波にのまれてあっぷあっぷしている内に終了してしまった。あの波を華麗に乗りこなせる人生のサーファーがすべてを制するのだろうか。私はサーフボードの端でバタ足しているくらいの力量だと思う。

文章を書いて収入を得たいとは常々思っていて、noteでも時々触れているけれど、文章と言っても色々ある。作家・エッセイスト・コラムニスト・ライターなどなど。軽く挙げてもたくさん出てくる。最近では在宅ワークや副業にと、ライター養成の広告なんかもよく見かけるようになってきた。文章を書くというハードルは、実はそんなに高くない。割と多くの人が携帯小説やブログを書いた経験があるのではないかと思う。携帯小説がわかる方は多分同世代だ。あのガラケーでぽちぽちと綴られたものが書籍化され店頭に並んだ時代を知る世代は今どうしているのだろうか。
正直言うと、本当に申し訳ないんだけれど、私はあの書籍化された有名所を皮切りに大概の携帯小説は苦手だった。
「ぁたし」とか「まぢ」とか「・・・」とか。
せめて三点リーダーは三点リーダーとして扱ってくれ。
「・・・」じゃなくて「……」でお願いします。という気持ちもあったし、根本的に無意味な小文字とか「じ」を「ぢ」にする意味とか分からないと思う学生だった。この時も時代の波に乗り遅れている。乗りたくないというある種の謎のプライドもあった。
とにもかくにも、割と誰でも何かを書いていた時代を経て、ライターを副業もしくは本業にしている世代が爆誕しているのだろうか。今や誰しもが作家になれる時代でもあるわけで、その流れからのライターなのだろうか。そもそもライターの定義とはなんだ。
何を書こうと思っていたのか忘れるというのは、儘ある話なのだけれど、こういう所が構成力を伸ばせない要因なんだろうなあ。
忘れるも何も、最初に書きたいことを決めたらメモするなりなんなりしておけばいいのに、と思うんだけれど、大抵衝動的に文章を書き始めるものだからメモしていてもいざ書こうとするとどうしたらいいのか途方に暮れることもある。

秘めた熱量は別として、放出する熱量はフラットに平熱を持続して文章を継続的に書けるようになりたい。ならなければ、と言いたいところだけれどそれを今の自分に課してしまったら身動き取れなくなりそうで、せめてできそうなところまでハードルを引き下げまくりたい。そこまでしてでも書きたいのは、誇っていいことなのだろうか。それとも執着なのだろうか。
まあどっちでもいいや。書けるなら。
そんな、独り言。

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