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ミニチュアの魅力について思う事

何年か前の事だが、近所のモールが大規模な増築工事をしてリニューアルオープンしたと同時に、鉄道模型専門の店が新しくオープンした。
鉄道模型専門の店なんぞ見た事も無かったので、興味があって覗いた記憶がある。

目を引いたのは中央に陣取っているミニチュア化された巨大な街で、時間制での料金徴収を条件に客自身が所有する電車をその街で走らせるといった事を店側が提供していた。

初めて見た時、こんなものが流行るのか?と懐疑的に見ていたが、以外にも中央に設置されている「街」は何時も利用客で席が埋まっていた。
私自身、鉄ちゃんでもなければプラモデルやジオラマに関しても全くの素人なのだが、「ミニチュア化された世界」に何故か魅力されてしまう。

昔、子供の時に親に買ってもらったミニカーが好きになり、何かにつけてミニカーを欲しがったものだが、今考えてるとミニカーその物の魅力というよりミニカーを使った1人遊びの根源的理由である「ミニチュア化された世界を自分勝手に想像してその世界に没入する事」が何よりも楽しかったのではないかと思う。

つまり、ミニチュア化された物質はあくまで「ミニチュア化された世界」の一端であって、その物質を包括する全ての世界観に人は魅力されていくのではないか?
大袈裟な言い方をすれば、人はあらゆる世界を俯瞰、制圧したい「神の存在」になりたいのである。

コロナ禍でブームとなった『どうぶつの森』や世界中で3億7千万本を売り上げた『グランド・セフト・オート』シリーズなどは、デジタルの中における「ミニチュア化された世界」だと言えるし、先程の「神の存在」という観点から言えば、作中の世界を思い通りにしたい欲求を思うままに叶えてくれる、遊ぶ側からすると非常に気持ちの良い世界だと言える。

近い将来、メタバースなるものが本格的に導入される時代が到来すると思うのだが、「ミニチュア化された世界」への魅力は当然「仮想世界」の魅力へと変化してゆくだろう。
その時に「仮想世界」に魅力された人々が果たして容易に現実世界に戻れるのだろうか?

全く持って悲観的な予想だが、麻薬にも似た「仮想世界」に身を置く程に現実世界とのギャップを強く感じて、無気力になる人々が増えるのではないかと今から戦々恐々としている。




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