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第一回勝手に日本酒を応援する会(仮)酒蔵インタビュー 新谷酒造杜氏 新谷文子氏

Katteni Cheer up Sake Brewers Interview ①

Interviewee: Ayako Shintani (female chief brewer at Shintani shuzou brewery)

Interviewer: Terumi Yaguchi

 

日本酒初心者の矢口輝美です。

勝手に日本酒を応援する会(仮)では、全国の酒蔵さんを応援するために、ご縁のあった酒蔵の方にインタビューをさせていただいております。

記念すべき第一回は新谷酒造杜氏新谷文子さん。
文子さんは山口県の女性杜氏第一号。しかも前職はナース!インタビューを前に、鬼嫁文子のアメブロを隅から隅まで読んだ所・・・学生時代は軽音部ドラム担当。メタリカ好き。何をどうしたら杜氏につながるの?という経歴の持ち主だったのです!そんな文子さんが、なぜ杜氏になったのか。そこには二度の廃業危機の中でも、なぜかミラクルが起こり続ける、まさにお酒の神様から導かれるかのようなストーリーがあったのです。

新谷文子さんが、嫁入りした先は酒蔵でした。婚約した年に、新谷酒造のお酒は全国新酒鑑評会で初めて金賞を受賞します。三代目に嫁も来て、金賞も受賞して・・・みんな大喜びだったそうです。新人ナースとして勤務を続けながらの新婚生活、当時は冬だけ酒造りをしていたため、どんな所で酒造りをしているのかも知らなかったそうで、冬になって初めて酒蔵に行った時に、自宅から二キロも離れていた事に驚いたそうです。そして翌年、長女が生後10か月の時、新谷酒造に第一次廃業危機が訪れます。なんと二代目の杜氏さんが退職をする事になったと同時に、蔵人さんも皆さんご高齢であったため全員退職されたのです。そして経理の方までが退職・・・右も左もわからないまま、文子さんはまず経理を担当することになりました。この頃全国的にも跡を継ぐ杜氏や蔵人不足の問題がありましたが、新谷酒造も同じ問題に直面し、自らが杜氏になる道を選び、一人でも酒造りを続ける決意をしたのが三代目であるご主人の義直さんだったのです。義直さんは、一年中仕込みが可能な四季醸造蔵へと改装をし、杜氏として生きていく事を決めたのです。しかし船出は厳しく、売り上げは激減。家計を助けるため再びナースとして働き、酒蔵の女将の仕事を両立させながら、子育てをする毎日。子ども達の遊びはいつも酒蔵だったそうです。家族みんなで新しい年を麹室で迎えた事も。そんな生活が8年続きましたが、ここで修行したいと言う若者が現れ、それを機に文子さんは看護師を辞め、酒造りに専念することを決意。しかし、またしても第二次廃業危機が訪れます。四季醸造蔵へと改装した蔵の梁が損傷したのです。もうね~この辺りまで聞いて、本当に神様は何度も何度も文子さんを試すな~と思ったワケですよ。もうダメだと思った時に電話が鳴り・・・なんとそれはJALファーストクラスの機内誌への掲載依頼の話だったのです。まだチャンスはあるのかもしれない。そのお話を聞いた時にそう思い、まずは自分で東京に行って、販路を拡大するために、いろいろな方にお酒を飲んでもらったそう。そして沢山の方と出会う中で、学びや気づきを得て、蔵に帰り、社長と二人で話し合った結果、もう一度一から酒造りを見直し、今この限られた設備で出来る事を全てやり切って、それでもダメだったら諦めようと、渾身の一本を仕込みました。そしてそれを日本酒の国際コンクールへ出品した所、フランスのKura Master純米酒の部で金賞を、ブリュッセル国際コンクールSAKE selection 純米酒の部では最高位のプラチナ賞を受賞。まだ伸び代があるかもしれないと感じた文子さん。
こうして山口県初の女性杜氏になった文子さん。そこからは毎日酒造りと向き合う日々だそうです。

秒単位で時間管理をする洗米、0.1度単位で調整する温度管理、一つ一つが繊細で緻密な作業の積み重ねです。手間暇はかかりますが、雑味の少ない日本酒本来の清らかで美しい味わいを目指し、少量を丁寧に我が子のように手をかけて育てるのが、私たちの酒造りのスタイルです。(新谷酒造のプロフィールより)

私は文子さんのお話を伺いながら、文子さんは杜氏になるために生まれてきたのだなと強く思いました。お酒は神様のお飲み物。任された土地、お水から一番良いものを作り出そうという心意気。私は文子さんのお酒をこれからも楽しみにしておりますし、ぜひ皆さんも飲んで見て下さい。