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効率重視の功罪

仕事において何かにつけて「効率重視、効率重視」と言われます。
もちろん、効率よく仕事を進めることは当然ですし、会社的にも、そうすることによって売上アップ収益アップに繋がることは分かりきったことです。
なので、昨日も今日も明日も皆会社のために、上司に発破をかけられながら「効率重視」を心掛けます。
まるで“呪文”のようですね。

でも、本当にそうでしょうか。

昭和世代の私からすると反論もあります。

例えば移動時間を含めた1日のスケジュールがアポイントでぎちぎちに埋まっていて、余裕がまったくないと、次のアポの時間も気になったりするので、ついつい機械的なプレゼンテーションになりがちです。
一見、時間に無駄なく1日に何件もの打ち合わせやプレゼンをさも効率的にこなしているように見えますが、内容的にはいかがでしょう。

もちろん、頭の回転が速く能力の高い方は、この時間軸でも十分濃度の高い仕事をこなしていることでしょうが、少なくとも私にはちと難しいです。

なるべくアポ前に30分、移動時間を含めると1時間の余裕は見たいです。
「えっ?そんなに?なんで?1時間の空き時間なんて無駄じゃん」と思われる方も多いと思いますが、盛り上がった話し合いの途中、次のアポのために「すみません、続きは後日で」なんてあり得ませんし、次以降のアポを犠牲にして「前の打ち合わせが長くなってしまって伺うのは少し遅れます」と連絡するのもスマートではありません。
「それは話の進め方が悪いんでしょ」と言われれれば返す言葉もありませんが、それは能力の高い方の言い分です。

それに、特にプレゼンやクロージングの場合、直前に話の展開を頭の中で再度シミュレーションしたいというのもあります。
「それは単に準備不足なだけでしょ」と言われれれば返す言葉もありませんが、それも能力の高い方の言い分です。
当然資料も自分で作るので事前に準備は出来ているつもりですが、日が変わった当日は復習しないと不安ですし、復習してるうちに新たな課題や別な案に気付くこともあり、そうするとそれを消化する時間も必要になります。

なので、移動の基本はもっぱら電車・バス・徒歩です。
もしかしたら、時間的には車のほうが効率的なのでしょうが、運転しながらの考え事はちと危険ですね。

それともう一つ。
社内での雑談です。
外部のいろんな知り合いに聞きますと、今の大多数の職場では仕事中の私語はほぼなく、電話する以外は皆無言で黙々とパソコンに向かっていますね。
「無駄話する暇があったら仕事しろ」は正論ですが、昔はもう少しゆるかったです。
他部署の同期や気の合う先輩や後輩の席に行って、もし隣の席が空いてれば腰を下ろし雑談をする。
時には外部の取引先の担当者が席まで来て雑談をして帰ることもありました。
そんな光景が社内各所で見受けられたのです。
そんなこと現在の職場からは考えられませんね。
仕事中に話しかけられる方も迷惑ですし、何より他者の白い目が気になります。
ましてや他社の方がオフィスに入ってくるなんてもってのほか。セキュリティーの問題もありますし。

それらの雑談、何がメリットだったんでしょうか。
当時はそんなこと考えもしませんでしたが、時が経ち、今思うに「人間関係の円滑さ」「仕事の連携の円滑さ」だったような気がします。
まぁ、それについて説明する必要はないと思いますが、その言葉の通りです。
私も若い頃よくありました。
仕事上問題が発生し四苦八苦していると、雑談により仲良くなった同僚や取引先の担当者が助けてくれるのです。
他の部署の社員が困り事を一緒に考えてくれたり、アドバイスをくれたり、取引先に至っては納期をずらしてくれたり。
そうすると、こちらも恩を返そうと努力しますし、助けてくれた相手が困っていれば逆に助けてあげようと思います。
もちろん、それを恩に着せるような言葉も態度もお互い示しません。
もう感謝のオンパレードですね。
当然に絆も強くなります。
また、他部署と連携して進めなければいけない仕事もお互いのことをよく知っているので割とスムーズです。
そういう意味で、昔は仕事にやりがいを感じていたし、とても充実していたと思います。

以上、長々と2つの例を挙げました。
まぁ前者は年代に関係なく腑に落ちる方もいらっしゃると思いますが、「タイパ」「コスパ」を重視する若い世代からすると理解し難いかもしれません。
特に後者は、古き良き時代の話ですから。

「で、結局何が言いたいの?」って話ですが、

効率重視が強すぎる社会になってしまったため、

①本当は1つ1つ自分で確かめながら進めたいタイプ、もっと言うとその方が力を発揮するタイプの社員が事実存在するのに見過ごされている
②雑談の機会が減ってしまい人間関係が築きにくく、職場での孤立化ややりがいが感じられなくなっている

ということについて、少なくとも私自身は効率重視の弊害だと思っています。

では、この効率重視社会の中で改善の余地はあるのか。

あくまで私見です。

①は部下の能力を生かしきれない上司や管理職が無能だから、との意見も出そうですが、そもそも管理職になるような方々は能力のある方々です。
何事も効率よく、かつ要領よくこなしてきて上にのし上がってきたのです。
その自分の物差しで相手を測るのは極自然なこと。
効率も要領も悪い部下など「能無し」と見なすでしょう。
かと言って、その部下の結果を辛抱強く待つ時間もなく、会社からは部署全体の数字を詰められます。

②は雑談以外でも人間関係は築けるのでは、との意見も出そうですが、最近「飲み会や会社の行事は仕事の一環」と考える向きがありますね。
業務中は仕事に集中、終わればプライベートな時間。
仕事の一環ではない飲み会や行事など時間の無駄。
何が悪いですか。
という正論に対して「では職場の人間関係はいつどうやって作るんですか」という問いは恐らく彼らにとっては無意味ですね。

以上より、現状において改善の余地は難しいと思います。
もちろん、すべてがそうであるはずもありません。
チームワークがしっかりしていたり、家庭的な雰囲気の働きやすい職場も当然にあると思います。
ただ、私が聞いた範囲では大企業も中小企業もそうではないようです。

結局、会社や上司にとって耳障りの良い「効率重視」という言葉を一般社員は無意識に受け止めていますが、実はとっても「窮屈」な状況を生み出してはいないでしょうか。

すると、図式としてはこうでしょうか。

「効率重視」=「増収増益」=「窮屈」