鉄の骨 -読書感想と価値観について-

積読になっていた、池井戸 潤の「鉄の骨」を昨日・今日で一気に読んだ。
内容は、

中堅ゼネコン・一松組の若手、富島平太が異動した先は“談合課”と揶揄される、大口公共事業の受注部署だった。今度の地下鉄工事を取らないと、ウチが傾く―技術力を武器に真正面から入札に挑もうとする平太らの前に「談合」の壁が。組織に殉じるか、正義を信じるか。

”公共事業”と"談合"”という切っても切れなそうな内容をテーマにした小説である。

10年近く前に書かれている内容にもかかわらず、現在も「談合」で検索すると(しなくても)、建設業界・医薬品業界などでの談合疑惑や談合事件は起きている。

なぜ、談合は起きてしまうのだろうか?

おそらく、「業界の慣習」・「組織への貢献」という言い訳がサラリーマンを、簡単に(そこまで悪いという自覚なく)犯罪行為に走らせていること。官は官で、政治は政治で、個人的な利益をもらえることがあるのだろう。いずれにせよ、小説ではあるがサラリーマンの悲哀・業界の仕組みなどがとても面白く一気に読めた。

談合の話は一旦ここで終わりして、小説で上げられていたゼネコンマンである主人公"平太"と銀行員である彼女"萌"との関係性がなんとも言えなかったのでその感想とこういう人は知り合いにもいるなーと思いNoteに感想を書くことにした。

萌は、平太の恋人であり学生時代に同じサークルに所属・新卒入社後に平太と再会し付き合っている。3年くらい付き合っている感じである。お互い本音で付き合える関係性だ。

しかしながら、萌は平太に対してマンネリ感・つまらなさを抱くようになる。理由は

・いつも居酒屋でビールや黒糖焼酎を飲む純朴な男であること(進歩がない)
・仕事も目先の、現場の話しかしない男であること(視座が低い)

という考えを平太に対して持ち始めたからだ。価値観が変わったのは、萌自身が銀行という組織に染まっていることと、銀行の先輩である優秀な園田という男に言い寄られ、視座の高い系の話とおしゃれなワインバーでとろとろにさせられてしまったためである。

では、平太と別れるのかと思ったがそうはせずに、平太に対して小ばかにしたような態度で接し、せっかく平太が関係修復のためにおしゃれなイタリアンをとってもワインわかるの?的な感じでいやな女になっている。

この萌を見て、私の友人の恋愛を思い出しとても切なくなった。

私の高校時代(男子校)からの友人であるKは、明るく面白く、運動神経もよいものの、女性には少し奥手だった。大学4年生で、初めてAという彼女ができ、その子も明るくて可愛らしかった。Kは友人同士の飲み会にもAをよく連れてきていた。

Kは、教師に。Aは、証券会社に就職することが決まっていた。

周囲の皆が、2人は結婚するだろうと思っていた。

しかし、社会人3年目で2人は破局した。理由は、
・教師である、Kとの人生ではライフプランが見えてしまうこと
・証券会社では、飲み会など多くのイベントがありそちらに参加するほうが楽しいということ がメインだったとKがふられた日に半泣きで語ってくれた。

2人の問題なので、Kの悪かった点等、その他諸々の理由はあるとは思うが小説を読みながら平太と萌の顔をKとAに設定して読んでる自分がいた。

社会人になると
仕事ができる先輩がまぶしく見えたり、
民間企業内でも業種・業界の違いで意見が違ったり、
付き合う人が変わったり、
昔から知っている地元の友達が急に、遠く感じたり、
と色々ある。

その中でも、いまの自身の価値観が過去と比べれどれほど変わったのか、変わってないのか少し考えてみたいと思う。

皆さんも学生時代~社会人初期~中期~現在 で変わった価値観・変わってない価値観ってあるのでしょうか。

コロナ禍という外的要因により変わったことも多いと思いますが、気になるところです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?