見出し画像

【寄席エッセイ】これから、バチクソに怒られるのが確定しているとして。

私は今日、これから妻に怒られる。


バチクソ(バチカンのエクソシスト)に怒られる方が気は楽だ。バチクソはここでは「ものすごく」と言う意味合いで使っている。



先日私の態度があまりにも良くなかった結果、ビッグバンがBANしているのだ。噴火は昨日の夜。そしてアタシは今職場にいる。つまりはそう言うことだ。一刻も早く帰らねばいかん。



私は直接人にものを言うのが家族であろうとも苦手で、そう言った不平不満の気持ちは表情や動きとか力の入れ方に出る。そういうのが1番周りのことをイラつかせるって知っているのにやってしまう。クソガキ根性この上ない。嫌いだぜ。自分。嫌になる。



我が家の夫婦喧嘩は年に数回はある。もうこれは確定してると言っていい。血で血を洗うような喧嘩がなかった年なんて一度もないのだ。まぁ喧嘩っていうよりは説教だね。うん。アタシ相手に喧嘩を売れるほどタフじゃないし。





原因は100%私。純度が高い。



だから私には基本的に何か言えるような立場はない。だって怒らせてるのが私で、私はそれを無自覚にやっているのだから。その辺りの自覚のなさがスパークを加速させるのだ。それは喧嘩ではない。お説教である。お説教される側は基本的に反論とかしないでしょう。聞いて気持ちを改めるものだし。




しかしまぁ悪口をしたとか生意気な態度取ったとか食べちゃいけないもん食べたとかそういう直接的なやつだったらわかりやすいんだけど。




でもこういうのって原因やきっかけはどーーーしょうもないくらい些細なものだ。



日々、少しめんどくさそうな顔したりとか、えーって顔したり、子供に怒っている妻に落ち着けと言ったり。そんなレベルのが積もりに積もって現在に至る。そして私が大きなものを立てて作業をしてたらboom!!!そりゃ怒るよ。




全く、大爆発の仕込みを私がしているのだから、そうなる前に上手に調整できないもんかねっていっつも思ってはいるのだができないのだ。本当に他人の心はわからない。理解しようとはするが、絶対に理解はできない。他人だもの。






いや、妻の事を悪いとか酷いとか全く思ってない。日常的に私が積んで積んで、大事に(わざとじゃないよ)育ててしまった結果の大爆発。イクスプロ―ジョンインザスカイ。悪いのは私だっての。仕込んでんだもん。




そうなってくるとなるともう謝るぐらいしかできる事は無い。反論は何度も言う通りしちゃいかん。わかってるよ風の理解の顔を見せたところで眉間の皺のより方が「全然わかんねぇ!」ってなってるからバレバレのバレ。



ただ先方としては「謝れば済むってもんじゃねえんだよ!チンカス野郎!!!」って怒鳴りたくなる気持ち。そうなんだよ。謝ればいいってわけではないんだよねぇ。


悪いと思ってないのに謝るなという気持ちもわかるが、悪いと思ってっから謝るが出るってのは理解されない。向こうだってこっちの気持ちはわからないのだから。



でも謝る以外の事で自分を表現することもできないし。

何か意見を言ってしまってもマグマの量が増えるだけ。

気にしないように過ごしていても、反省の色が無いという事でグラウンド百周させられてしまうし。



じゃあどないせいっちゅーんじゃって大の字になって寝っ転がってしまう。この辺り、男という生き物がほんとなんも考えてないんだなと言う意味でもある。



とかく、書けば書くほど私は自分の事がかわいいと思っている人間なんだなと思ってしまう。結局守りたいのは自分の機嫌であって相手の怒りを鎮める事で自分の命を守りたいと思っているわけだ。つくづく、人間。







怒っているのは私ではない。相手だ。




相手の気持ちを推し量ろうとすればするほど、理解しようとすればするほど。欲しいものはそれではないんだと一喝される。





何万回とコントの練習のようにやり続けてきているもんだから何に怒っているかはわかる。でもそれを鎮めようという気持ちがそもそも甘いのである。鎮まりたまえ!が相手のためではなく自分のためになっている。ここがクソである。




怒りはちゃんと受け止めねばならぬ。そしてそれを受け止めるから前に進めるのである。





「怒られないように」なんて、すでに噴火している火山を眺めたってしょうがない。だって噴火してんだもん。バッチバチに溢れてんだもん。マグマ。



であれば、そのグツグツと煮えたぎるマグマを手で掬う覚悟があるか?という話であって。概ね大半の野郎共はそうならない為に必死に頭をこねて一問一答方式で答えていくのだろう。Yahoo知恵袋も見るし。夫婦喧嘩のブログカウントが信じられない数値を叩き出す。





しかし違うのだ。

もうマグマは流れちゃってんだから。それをどうやって掬うかを考えなくてはいけない。





だって先方は怒っているのだから。



怒るってのは感情の流れとして不可避なわけでして。
怒らない人間関係ってそれはなんなんだろうってわけで。そして怒らせているのは誰だって話であって。




自分のアホさや情けなさ、稚拙さを見ることをせず怒ってる相手を誤魔化して本質(私が顧みなければいけないソレ)に目を向けないなんて虫のいい話だ。いい大人なんだからちゃんと反省の言葉の意味を考えて動かねば。



と、言うわけでバチくそに怒られてきます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?