見出し画像

【寄席エッセイ】分かられなくたっていい。難病。カスタムしたくなる病。

小さい頃からその病が根深く、全く直る気配はない。病院で何ていえばいいだろうか。ちょっと改造癖がひどくて・・・何科だろうか・・・どんな処方箋をもらえばいいだろうか。





改造。改造という言葉適切かどうかは分からない。なんだか重たい気もするがそれ以外の適切な言葉が日本語には存在しない気がする。原因不明の病というべきか。





今迄人生で生きてきて、改造をしたい欲に駆られたことは無いだろうか。








ないよね。








・・・いや、ちょっと待ってほしい。

ゲームでもいい、強い武器を作りたい。一生懸命ステータスを眺めてより強くする。攻略本(装備などパラメーターがアホ程乗っている分厚いヤツ)を時を忘れてうっとりと読みふける事は無いだろうか?

遠足のお菓子。予算100円を目一杯限界までエンジョイする方法に頭から湯気を出したことは無いだろうか?





・・・いや、なんでもない。







まぁ、何をそんな。という意見がばかりだろうが、私は上記の説明の時点で酷いソレをより酷くした感じで時間の浪費があまりにも激しくて困っている。他の事に手がつかなくなるし。



そしてこの病の大きな問題は「改造する事」に重きを置きすぎてぶっちゃけその先はどうでも良いような気がして生きているという「何言ってんだお前?」というマインドセットに昇格してしまうから性質が悪い。



私は改造している時、凄まじい熱量で予算を立て、パーツを選定し、くみ上げる事に四苦八苦するのだが、終わった後に「全く使わない」みたいな行動をしでかす。そして終わった後「なんでこんな事に熱中しきってたんだっけ?」と憑き物が落ちたように我に返る。その反動たるやかけた時間と労力を嘆きすぎて三日間ぐらい無口なる事すらある。賢者タイムってああいう感じ。






楽器にしても、車にしても、あらゆる事象にしても、ノーマルでそのまま使い続けられる人を羨ましく思う。時間を上手に使っているなと感心する。





そういう人達(というかそういう人達の方が全然多いんだけど)に話を聞くと「だって使えるじゃん」という回答がほとんどである。そんなことは分かっている。分かっているのだが、アクセルを踏みだした靴の裏に瞬間接着剤でも散布してあったんかというぐらいに妄想は亜音速に即到達しどこまでも検索を続ける時間がやってきてしまう。靴の裏に接着剤はダメ絶対。






私が病を発症する趣味にオーディオや楽器関係があるのだけど、その辺りはもう目も当てられない。当然改造するのだから、より良く。よりイイものにしてみたいという動機で始めるのだけど正直その「より良い」の概念が自分の中で定まっていない。



何がどう良い。が分かっていない。つまり、終わった後に「良くなった」のかが分からないで開始するのだ・・・



お分かりいただけたであろうか・・・ゴールを定めないが「なんだか良くなる」という触れ込みのみでとんでもない熱量を生み出すことができる。なんなのワシ。そもそも「良い」という言葉の定義はそれぞれ過ぎてなんともだけど楽器とかで言うなら「良い音になる」って結構意味不明な言葉なのだ。良い音は人それぞれだからもうちょっと定まった目的があった方がいいんだけど、なんだか改造を始めてしまう。


それだったら、それこそ初めからもっといいものを買うようにすればいい。そのゴールが達成されている製品を買えばいいのだけど、貧乏神をいつも背後霊として従えている私にとってそういうお金の出し方はできない。



でも改造費用は出せる。これはに貧乏神も戸惑いを隠せない。トータルでもっと高いものが買えるぐらいの金額になる事すらある。これには貧乏神もグーパンである。それ元々だったらもっといいもん買えたやんけ。と。バカかお前は。と。









しかし。私は改造したいのだ。改造がやりたいのだ。







で、その改造に思いきりカロリーを消費しすぎて、楽器で言えば改造した後の方が弾かないみたいな大事故が実際に発生する。「良い音にしたい」とかほざいてたのに改造が終わったらそこで満足してしまうのだ。病気だろう。もうこれは。








このタイプの人間はあらゆるジャンルに居る気がする。道具系の趣味というか、スポーツでも一部あるか、家電でももしかしたらあるだろう。




永久凍土冷蔵庫キット
電子レンジの出力三倍
サーキュレータみたいなエアコンMOD




上手く言えないが一定数売れると思う。バカ売れしないが私のようなアホが買うような気がする。


Youtuberのやってみたみたいなものが存在する前から、なんだかよくわからない改造欲に取りつかれてやってみた人は少なからず存在する。




その方向性は時に何か問題になるかもしれない。危ない方向に行ったりして人を傷つけるような形になったら大変だ。そんなへんちくりんなゴールは望ましくない。



しかし私が良くインターネットで眺める「誰がどういう需要でこんなことやるんだろう」みたいな動画やサイトを見るといつも嬉しく思う。





なんだかよくわからない事をやっている人がいるんだな。と。そして蔑んでいる気持ではなく「ありがとう。ありがとう」と。


感謝の言葉が出てくるのは、同じような病にかかっているからというだけでないような気がする。






面白いのだ。(全然理解されないが)





ただ買ったものを手にしてるだけでなく「あれをやってみよう」「これをやってみよう」「こうするとこう変わる」「ああするとこう変わる」



人の趣味関心は時代によって大きく動く。Youtubeも多種多様なコンテンツが並んでいる。それこそ星の数のように並ぶが。全く再生回数が伸びていないそういう不思議な改造をやっている人達。最高だよ。人の関心を引くではなく(それを意識していたらごめんなさい)朴訥と「ただやってみた」みたいな空気。





面白いコンテンツ。人それぞれのコンテンツ。再生回数が伸びればみんなが見ている。見てくれるものを作るのにはどうすれば?

そういう世の中だし。大多数の声を拾おうとするのは正道だと思う。




激ニッチコンテンツを見る度に閉鎖してほしくないと思う。再生回数は評価なのか?いいねの数は評価なのか?評価なんだろうけど。評価なんだろうけど。



そういう人達が集まって結果企業みたいになった事だってあるはずだ。いつかどこかでその激ニッチバトンは受け継がれていく。多分当人が更新する事に飽きてしまったページや動画。それは果たしてゴミなのだろうか。皆が触れないからゴミなのだろうか。





改造人間(使い方に語弊がある)の私はそういったものをいつまでも眺めていたい。楽しいぞ。改造。でも周囲から同意を得られない。マジで。




別に自分の見ているものが、やっている事が脚光を浴びる日が来る、来てほしいなんて思わない。でも面白いと思っている人はいるから。そういう事って続けてていいもんなんだと思う。


という事はモノづくりの人達ってそういう誰が見るとでもなく作り続けるって気持ちを持っていていいと思うんだなぁ。


そりゃ人間だから、沢山の人に見られたいだども。ね。

分かられなくったって。楽しいものだってあるんだって。ね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?