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【寄席エッセイ】クレーマー×クレーマー



先日、コンビニで買い物をしている際に店員さんが二つのレジを利用してお客さんをさばいている光景を目にした。すさまじいスピードだ。


モノを買う際には店員さんが商品のバーコードを読み込んでいくのだが。それがお会計の作業のスピードの根幹を担っているものと思いがち。しかしそれが終わってお客さんがお金を払う(お会計)のはそこそこ時間がかかる。それを待っている間は店員さんはフリーになるので、隣のレジで次のお客さんの対応ができる。場合によってはお釣りを渡す対応もいらないわけだしね。




なるほどなるほど。とても理にかなったやり方だ。











感心してお店を後にするが、気づいたことがある。




それ即ち、店員さんがどれだけ早く動いてもお客さんの会計のもたつきで必ずロスが発生しているという事実。






だからどれだけ動ける店員さんを配備しても、どこかで作業効率やスピードは頭打ちになる。どれだけ便利なレジが入っても頭打ちは来る。

そこをさらにスムーズにするには「お客側」も何かしら考えないといけないという話ではないか。









なんとまぁ。な話である。









店員さんにクレームを入れる人は残念ながら一定数いる。仕事が遅いだのなんだのお客を待たせるのはなんだの、仕事が丁寧じゃないだのなんだの。


すべての仕事におけるクレームは良くない。なんてことは思わない。私はね。雑な仕事を嫌な気分になる事だって普通あるし、何か言いたくなる気持ちが沸き起こるのもごく普通な事だと思う。






しかし、その要因にレジの手前側に居る自分たちが関わっているなんて考えたことがあっただろうか。私は無かったなぁ。





お店側がどれだけ素晴らしい教育を施していても、どれだけ仕事のスピードが速い人を置いても、どれだけ素晴らしいマッスィーンを導入しても、大型スラッガーを入れたとしても、結局そこじゃない所にも要因があって、そこもどうにかするという発想が生まれないと何時までたっても世の中良くなっていかないのだ。






私たちはお客としての研修なんぞ受けたことも無いし、教育も受けた記憶がない。そのバランスは人それぞれ。ソダッテキタカンキョウガチガウカラ。好き嫌いは否めないし、夏がダメだったりセロリが好きだったりするのだ。レジで店員さんが怒られている。そんなシーンの直前にお客さんがまごついているのが原因だったら?お客さんが文句を言っているのが原因で遅くなっていたら?スマホいじっててお財布出すの忘れていたら?



それでも買い物に対する怒りは店員さんに向けられてしまう。アンケートというシステムは素晴らしいと思うが、好き勝手に文句を書くようなものではない、感情を思いきりぶつけていい場所でもない。もっといい場所にしたいね。という気持ちを「皮肉を込めた意味でなく」正直にストレートに書くようなシステムだ。それを見てお店も頑張れるってもんよ。ヒントをくれてありがとうってもんよ。



でも、それでもその空間の評価は働いている人や場所に向けられてしまう。居心地のいい場所はあるのに居心地が良くないのは本当に店員さんだけのせいだろうか。お客さんは怒られることも無く、素知らぬ顔をしているが、それで本当にいいのだろうか。自分たちは本当に無関係なのであろうか。







どれだけテクノロジーが上がっても何かしらの限界がすぐ来てしまうのはこういう事が原因な気がする。ものっそいサックリ言うと「利用する側の考え方」なんだろう。ナイフは見方によって凶器だが、見方によって美味しい料理を作るのに必要な道具だ。




レジのこちら側がお客という言葉で括られるのは疑う余地もない。でもそこに胡坐をかき無関係と思ってしまう。そんな人は世の中に沢山いるような気がする。それを悪いことだとは思わない。思わないが、その胡坐の姿勢から一方的に何かを言う前に、己の胡坐っぷりを振り返ってみるというのはどうだろうか。




相手を許せとか、広い心を持てとかそんな話をするつもりは無い。




思うのは。悪いものの所在をあんまりに短絡的に考えてはいないだろうか?という事であって。
それを一ミリでも考えられれば、世の中のあらゆる事のスピードや効率は飛躍的に上がっていくような気がする。



地球温暖化だとか、選挙だとか、世の中の事だとか、戦争だとか。世界で起こっている事に目を向けるのは難しい。大きい。広い。信条が違う。

それらを根本解決するために何か素晴らしい事を成し遂げろという話ではない。
そういう事に当事者意識を持てなんて言っても、私も難しくてできないような気もする。スケールが広いから。ねぇ。





ただどれだけスケールが広くとも、結局そういうのって、コンビニに並んでるときどうするかって事と同じだと思うのだ。

世の中変わらないから無駄なんてぼやくんじゃなくて。まぁぼやいてしまうのは仕方がない事だども。

会計の際にレジに並んでいる時に、なるべく早く会計できるように準備しとこうとかとか、店員さんにありがとうございますって伝えるとか。






「何かの場に自分が無関係だと思わず、少しでも良い方向に向かえるようにちっっさい何かをする」





みんなそうすれば、もっと社会ってええ塩梅になるような気がするのだ。









コンビニレジが二台。店員が一人。

世の中が加速的に速くなっていく。扱える人はどこまでも先に行く。



「お客様」はいつまでその場に突っ立っているのだろう。便利になるは「周りが変わっていく事」だと思っているから、このままずーっとそこに居る気がする。


お客様である不特定多数の私たちはそんな現実を眺めて何か考えないといけないような気がする。

私たちはその場につっているわけにはいかんのだ。

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