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クロチアゼパム日記③        多様性の容認/外国人労働者 2024/7/24

 社会に出て数年経った頃、80年代半ばだったと思うが、当時勤めていた会社の社長が「多様性への寛容が大事」と訓示されていたのを良く覚えている。当時の僕は、金太郎飴とまでは言わないが、企業には創業の思いや理念の下、価値観の共有や社風というようなものがあるのを好ましいことと思っていたので、どうもピンとこなかったのだ。公家の東芝、野武士の日立、商人の松下、三菱は殿様であっただろうか、そんなたとえが口の端に上がっていた時代だった。その会社だって、盤石な財務体質と滅私奉公的な働かせ方で、地域では名を馳せていた。海外でのトップセールスによって視野が広かった故かもしれないが、結構な先見性であったと思う。経団連は、「DEI (多様性、公正性、包括性)」の推進のため、「選択的夫婦別姓」の採用を求めているようだが、DEI推進との関連が強いとも思えないし、旧姓の通俗使用と比較して企業側のメリットが大きいとは思えない。DEI推進を謳うなら「アリー my Love」みたいなトイレに改装する方が先だろう。 
 経営者が求めている多様性とは、本音のところ 外国人労働者の受け入れ拡大であろう。実際、外国人の増加は肌感覚で分かる。ぱっと見で外国人と分かる家族も多く近所に住んでいるし、都会のコンビニをはじめ、建設現場や介護施設などでも、外国人を頻繁に見かける。横浜関内のコンビニで気性の荒い店員と相対したとき、何か抑圧されているのか?この人は正当に遇されているのだろうか?と、ふと思った。その人の個性とか民族性ということもあり得るだろうが、ともかくも、我が国は日本で働く外国人を人道的に遇さねばならない。僕は「何か困りごとがあるの?本社か役所に伝えてあげますよ。」と言えば良かった。日本社会は、国籍を問わず労働者に対して公正であるべきだ。現状の野放図さは正されねばならない。技能実習制度などというまやかしは許容されるべきでないし、留学生が出稼ぎの隠れ蓑になってはいけない。就労ビザによる労働者を十分保護し、同時に不法就労者を厳格に取り締まることは、必要な社会的コストである。外国人労働者の存在無くして社会は回らなくなっているのは事実であるが、産業界各所にある要求に押されて、場当たり的、なし崩し的に外国人労働者がさらに増えてゆくことは社会にとってリスクが大きい。このことは企業や産業の競争力という観点だけで進められる話ではない。早期にきっちりした制度をつくり、コストをかけて厳格に運用されることが、人権擁護と国益に資することであり、多様性を容認した社会であると僕は思う。
 先々も考慮した労働者人口の確保、迎え入れる人に対する人道的責任、国柄の維持を念頭に置いたとき、僕は計画的移民・帰化政策の実施が第一の案であると思う。働ける間は雇うが老後や家族は知りませんというのは、身勝手すぎる。移民・帰化してもらえば、日本国民として家族の人権が保障されるし、子孫は将来にわたって国を支えてくれる。かつて日本は移民を送り出す側だった。もし、その子孫が日本への移住を望んでいるなら、厚遇を準備してルーツのある国に帰ってきてもらえば良い。祖父母の苦労に対する報いともなるだろう。日系に限らず、日本人移民を受け入れた国の人なら、相互主義の下、同様に厚遇をもって迎え入れたら良い。外見は似ているが日本を恨む人物より、肌の色は違うけど自分の意志で日本人になってくれた人の方がご近所さんとして圧倒的に好ましい。当然のことながら、人食を風習に持つ人々が日本社会で共存するのは難しいから、基本的価値観を共有するなど対象となる国は限られる。心配なことは、この募集に対してどれほどの人が応えてくれるかだ。
 就労ビザによる出稼ぎを無くすことは現実的ではないだろうが、不法就労や不法駐留は厳格に取り締まることは可能だろう、何の不都合があるものか。外国人労働者を搾取しないと存続できない企業など淘汰される方が良い。在日外国人の増大によって、治安が悪化し国柄が変わってしまうという恐れは至極当然のことである。日本を混乱させる為に送り込まれているのではないかと勘繰りたくなるような話もある。繰り返しになるが、局所的な利益によって、なし崩し的に在日外国人が増えてしまうのが一番困ることになる。手遅れの感すらあるので、居住・移転の自由については、公共の福祉と共に近隣先住民の権利保護が優越するという法整備があって良い。

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