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ワカメの介護記録3

父は阪神ファンで、草野球のピッチャーだった。
なかなかのチームで、優勝していた。
夕方になると、筋トレを毎日欠かさずに
やっていた。
母は、巨人ファンだったが、
多分父との喧嘩に懲りたのか、いつのまにか
広島ファンになっていた。
本当に、いつのまにかだ。
だから、いつのまにか野球中継で、
夫婦喧嘩をする事はなくなった。
だが、出かける前は必ず、母がなかなか
車に乗って来ないことにイライラしていた
父がいた。

母は、優しくて、字を書いたり、パッチワークを
したり、家の設計図を書いたりするのが
好きだった。
年賀状となれば、自筆で100枚ほど、
毎年書き上げていた。
着物にハマった時期もあり、着付けを
習っていたりもした。
運転もできたから、夏休みには、父は置いて
母の故郷へとカーフェリーに乗り、
行った事もある。

小さい頃、悪い事をすると父にトイレに
とじこめられた。母がいつのまにか、
助けてくれた。
父は怒りん坊だったけど、母はほとんど
愚痴を言わずに我慢しているようだった。

母が何だか変になるのは、もっと後だが、
我慢強い性格も要因だったのでは❓と思う。

こんな事もあった。
父が飲みに行って、夜中に帰って来たようで、
鍵がなかった父は、大声で開けろ!開けろ!
と、大騒ぎ。
気が付かず、なかなか開かない玄関に
イラつく父。
やっと母が開けると、遅い!と喧嘩。
もっと母の味方をしてあげて、私が
助けてあげられたら良かったのに!とも
思う。
イラつく父ではあったが、暴力はなかったし、
普段はとても仲の良い夫婦だった。
だからこそ、たまに夫婦喧嘩が始まると、
どうして良いのかわからなかった。

お母さんが何だか変だ!
そう感じるまで、あともう少し🤏

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