鬱とカタツムリ

 子供の頃、雨の匂いが好きだった。どんな匂いかと言われれば思い出せないが。雨降ってるから通学の電車混むなぁとか、会社つくまでにスーツ濡れちゃうなぁとか、そんな憂鬱と出会う前、雨の匂い、音を純粋に楽しんでいた。大人になるにつれて失ったそんな感性はもう戻ってこないのだろう。

 雨あがりに外に出ると、我が家の塀には大量のカタツムリがくっついていた。そんな光景を見るたびに、「暇そうだな」「やることなくて可哀想だな」と思っていた。なにも知らずに生きて幸せなんだろうか、と。

 社会人になって、なにも知らずに生きているカタツムリを見るたびに、強烈な嫉妬を覚えるようになった。知らないことの幸福を知ってしまったから。大人になるにつれて、知りたくないことに沢山出会った。自分が社会不適合者であること、思っていたより心が脆かったこと、無能なこと。

 子供は、なにも知らない。自分の才能の限界も心のキャパも客観的な外見も。知識の獲得というものは不可逆的なもので、知ってしまった知識や現実を自分の意思で捨て去ることはできない。最も幸福に人生を生きる方法は、何もかも知らないことなのであると強く感じる。

 それでも、なにも知らずに生きていくということは不可能であり、これからも僕は、知らないという幸福を失う恐怖と、知ることの辛さを抱えながら、色々なことを知っていく。心が壊れるその日まで。

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