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雑草という名の植物なし。雑用という名の仕事なし。

「世の中に雑草という名の草はない」という名言があります。
これは、植物学者の牧野富太郎さんの言葉ですが、昭和天皇が引用してお話になったエピソードで広く知られています。

一方、「雑用という名の仕事なし」という言葉は、いつの間にか自分が大切にするようになっていたフレーズなのですが、どなたの言葉なのか分からなかったので、ツイッターで聞いてみました。

すると、小松雅直さん@MasanaoKomatsu)から「この方の言葉では?」とリプライをいただきました。

ご紹介いただいたサイトはこちらです。
「雑用という名の仕事なし」は、元ノートルダム清心学園理事長の渡辺和子さんの言葉だそうです。

この世に〝雑用〟という用はない。
用を雑にしたときに、雑用が生まれるのだ

一般的に、雑用と呼ばれる仕事は、多岐にわたります。
例えば、上司や先輩に頼まれる書類のコピー、会議室の予約、会議終了後の湯茶などの片づけ、コピー用紙やごみ袋などの補充、などでしょうか。

これらの作業が簡単にできる場合、「こんな雑用は誰でもできる」「どうして雑用を私がやらないといけないの」という疑問が湧いてきます。

つまり、役不足(=役目が実力不相応に軽く、与えられた役目に満足しないこと)ではないか、という疑問と、その疑問から「自分への正当な評価がされていない」という不満が生じ、「雑用ばっかりやらされて、私はこの会社に合っていない」と考えるようになり、仕事がイヤになる・・・という悪循環が生じる場合があります。

不本意な配属、不本意な異動で、自分の希望に合わない部署や分野での仕事を命じられた直後に発生しやすい現象です。

私自身も、希望が通らず、不本意な配属や異動で、やりたくないと思いながら仕事をした、苦しい時期がありました。後で振り返ると、この時期の苦しい経験が、後にいろいろと役立つことがわかるのですが、渦中の当事者のときは「どうやったら、違う部署に異動できるのか」ばかり考えていました。

たいてい、不本意な配属というのは、やりたいと思っていた分野とは異なり、未知の世界であり、自分の中ではその仕事へやる気が起きない、あるいは逆に、自分には難しすぎる仕事で力不足だ、と感じる場合に生じることが多いと思います。

つまり、自分の安心して働ける範疇から外れている仕事をしなければならない瞬間に発生するものだと思います。

このように、「やりたくないこと」について、渡辺和子さんは次のようにおっしゃっています。

生きていく上では、嫌なこと、したくないこと、欲しくないもの、気に入らない相手など、数々の自分にとって〝ありがたくない〟物事に向き合わないといけないことがあります。つまらない仕事を、つまらなくない仕事に変える術を、若くして修練院で教えてもらったことを、私は感謝しています

「つまらない仕事を、つまらなくない仕事に変える術」
一言で言えば、「物事のとらえ方を変える術」になります。

不本意な部署で働いていたとき、課長からは『今までの仕事とはタイプが違うから、また新しい視点で考えれば良い。それが君の経験になり、キャリア形成につながるんだ』と言われていました。

その上司に、私は面談などで頻繁にボヤいていました。
「課長がおっしゃる『視点を変える』、これが簡単に出来たら人は苦労しないんですよ」と。

その上司からは「まあ慣れれば見方も変わるから、しばらく頑張れ」という、なんとも突き放したアドバイスをいただいていました。

上司が頼れないとなると、自分が考えるしかありません。
そこで、視点を変える方法について、他社に勤務する先輩に相談したり、本を読んだりして、探し始めました。
そうこうしているうちに、リフレーミングや、俯瞰して見る、嫌われる勇気など、いろいろなアプローチがあることに気づき、少しずつ実践することで視点を変える術を学んでいきました。

そうこうしているうちに、一つ一つの仕事の本質的な意味がわかってきて、「なぜこの仕事をするのか」と考えるようになりました。

そうすると、不思議にだんだんと面白くなってきました。
どうしても必要なものであれば、できるだけ効率良く、かつ正確に出来るように準備や作業の流れを改善し、不要と判断すれば、関係者と調整した上で思い切ってその仕事自体を止めてしまう、という活動を、協力してくれる同僚と共に始めました。

これが私にとっての「つまらない仕事を、つまらなくない仕事に変える術」なんだなと思えるようになったのは、悩み苦しんでいた時期から数年たった頃のことでした。

渦中にいると目の前のことにとらわれてしまいます。
しかし、経験を積んでくると、自分の心情のパターンがつかめてきます。
そして、自分の心のレンズの焦点を遠くしたり近くしたり、コントロールする術を駆使して、正面から取り組んだり、時にはやり過ごしたりという、イヤなことへのアプローチができるようになってきます。

それがベテランであり、人が歳を取る意味なんだろうなと思います。

小松さん、教えてくださってありがとうございます。
渡辺和子さんの著書「面倒だから、しよう」、近日中に読みたいと思います。

今回もお読みいただき、ありがとうございました。

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