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もっと早く、思いを伝えたら良かった
ご無沙汰してます。カツオです。
母が旅立って1ヶ月半ほど経ちました。
だいぶ気持ちも落ち着きました。
思い起こせば、もっと親孝行したかった、という残念感が湧いてきます。
「後悔」ではなく「残念感」という表現にしたのは、親孝行は多少はできたのではないかと自己満足する部分もあるからです。
自分がしてきたことが不十分だったとはいえ、全否定することはないな、と思います。
…などと少し強い気持ちを前に出してみましたけれども、やはり思い出すのは、母にもっと思いを伝えたら良かった、と。
面と向かって言うのは照れ臭いですが、まだしっかり会話のできた夏の頃、背中を猛烈に痒がる母の背中を、いろいろ話しながら数時間かけて背中をかいたときに、「ありがとう」「大好き」を伝えたら、喜んでくれました。
喜ぶ笑顔をみて、私も嬉しくなりました。
こんなに喜んでくれるなら、
自分も嬉しくなるのなら、
もっと大好きを伝えたら良かった。
そう思いました。
しかしながら、母が好きだということに理由はなく、ただ好きなわけです。
ただ好きなものには、あらためてその思いを言葉にしないんだな、と気づいたのです。
それは、三宅夏帆さんが「なぜ推しが好きか」の言語化が超有意義な理由」で、好きについて書かれている考察にも通じるものがあると思います。
「好き」って、揺らぐものなんです。揺らがない「好き」なんてない。
私から母への「好き」という感情は、揺らぐものはないという自負はありますが、正直、仕事で疲れて、会いに行くのはシンドイな、と思う日もありました。
「それって、好きが揺らいでるんではないか?」
と自問自答してました。
だからこそ、「好き」を言葉にするのは有意義だと三宅さんは説きます。
自分のためにも相手のためにも、「好き」を言葉にしておくことって、すごく意味のあることなんです。
母には、たくさんの感謝を伝えたいと思いました。しかし、いざ二人きりになると、何から話したら良いのか、分からなくなることもしばしばありました。
いま振り返ると、思いを言語化しておく準備が足りなかったのだと思います。
いざというときに備えて、自分の考えを整理したり、思いを言葉にしておくことは、人生の節目の瞬発力を高めるために不可欠なんだな、と少し残念に思ったのでした。
ありがとう、助かった、大好き。
近い関係の人には、なかなか伝えない言葉ですが、これからは、少し自分の殻を破って、思いを伝えていきたいと思います。
静かにみんなを見守ってくれる、夜空のお月さまのような母への思いを胸に。
母を見送って哀しみを分かち合った父と弟とは、母が怪我してからは頻繁に連絡を取り合い、語らうことが増えました。母のおかげで、ようやく仲が良くなったよね、と3人で話しています。
本当に、ありがたいことだと思います。
お母さん、仲良くやってるから安心してや。
2023年、たくさん読んでくださってありがとうございました。
2024年から、#カツオnote を復活します。
どうぞ、良いお年をお迎えください。
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