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奇跡のようなおみくじ。【#10】

きのう物語は、昨日撮った写真一枚と、その日記です。

おみくじは、年に一度しか引かない。
つまり一発勝負、ファーストテイクなのだから、小さな大勝負、とはっぱでもかけておこう。

去年のおみくじを、よく覚えている。市町村一周を屋久島で終えた日、島の由緒ある"益救(やく)神社"でおみくじを引いた。旅が終わった直後だった。どんなおみくじだろう、見当もつかないまま引いたのは、…大吉だ。おおっ!嬉しい。その日の夜、Twitterで旅の反響があって、人生が大きく変わった。

いやいや、流石にそれは、おみくじとは関係ないでしょう。と、思うかもしれないが、このおみくじの内容は、見事なほどに良かったのだ。だからわたしは、おみくじをそっと財布にしまったまま、一年間を過ごした。

実は、このおみくじに書いてあった内容で、当時、唯一分からなかったことがある。「転居(やうつり)」の欄だ。「よい早くしなさい」と記されていた。当時は大学卒業前の1月。まもなく就職で、実家暮らしに戻ることは決まっていた。だから、「すぐにはどこかへ引っ越さないでしょう?」と思ったのだ。

それがいま、わたしは実家を出て、東京で一人暮らしをしている。11月に、引っ越したのだ。まさかではあったが、おみくじ通りになった。信じるも、信じないもわたし次第だが、本厄だった2020年は、わたしにとって「大吉」であった。

そして今年。元旦を迎え、多摩川浅間神社にて初詣に行こう、と思ったが、行列のため断念していた。一週間後、あらためて、初詣の挨拶に行こうと。電車に乗ることもなく、歩いていける神社であることから、神様以外との濃厚接触は、避けている。

さて、多摩川浅間神社に到着した。長い行列に並ぶこともなく、御神前へ。お賽銭をいれて、二礼二拍手、新年のご挨拶。無事にお参りできて、一安心だ。

さぁ、ここからがメインイベント。「おみくじタイム」である。いよいよだ。おみくじを引いて、一喜一憂するだけなのに。なぜか心拍数が少し上がる。この神社のおみくじは、お参りする御神前のすぐ右手にあった。賽銭箱のような木箱に、鷲掴みできるほどのおみくじが、何層にも自由に重なっている。100円玉を木箱の脇に入れて、好きなおみくじを自分の手で選ぶ。何百ものおみくじから、ひとつだけ。

種類は2つあった。左側には「金みくじ」、右側には「桜みくじ」だ。金みくじ、なのだから金運に関するおみくじかと思えば、「内容は一般的なものです」と但し書きがある。桜みくじも、一般的なおみくじだろう。似たような内容であれば、面白そうな「金みくじ」でも良いかな、と思ったが、なんとなく、「桜みくじ」の方が、春を迎える気持ち良さが感じられて、心を決めた。

ずいぶん前置きが長くなってしまった。「(今年も、引くぞ!)」100円玉を入れて、もっとも、目が合ったおみくじを、利き手の左手で、サッと取った。

ああ、もう、今年のおみくじを引いてしまった。もう、引き返せない。ああ…!おみくじを開くまでの高揚と不安が、神聖な境内の中で、雅楽の「ぷわぁん」という新年の音色とともに、押し寄せる。しかし、人生は後戻りできない。これも同じさ。見届けようぞ、今年のおみくじを。

ピンク色のおみくじを、いよいよ開いた。小さな文章が、徐々に見えはじめる。しかし、それだけを見ても分からない。なに吉か、もしくは凶などと一文字だけ書かれた文字が、現れるまでは。どうだ、どうだ…。

「大吉だ…!」

「やった、やったぞ!」

わたしは運命に、大勝利した。もともと、運がいいタイプだとは思っていたが、2年連続の、大吉だ。これ以上の結果を、どうして望むことができよう。素晴らしい。今年も、がんばれるぞ!

…しかし、変なのだ。

どこか、おかしい。大吉のはずなのに、違和感がある。…数秒考えて、ハッと気づいた。この大吉には、見覚えがあるぞ。大吉の解説文が、「去年と似ている?」と、直感したのだ。

財布に一年間しまっていた、去年の大吉を急遽、開いた。鳥肌が立った。全て、同じ内容だったのだ。

去年のおみくじは屋久島で、引いたんだ。そして今年は偶然、新しく住むことになった、地元の神社で引いたんだ。おみくじの色も、縦書きか横書きかも違う、このおみくじを。しかも、凶や末吉ではなく、「大吉」として、同じ内容なのだ。

やはり、鳥肌が立った。

神様や仏様、キリストを信じるかなんて、わたしたちの自由だろう。しかし、この件に関して、わたしは神様に、手を合わせずにはいられない。こんなことは、なかなかありえないと思う。…知らんけど。

人生は、たくさんの奇跡で溢れている。

ポカリスエットを買います。銭湯に入ります。元気になって、写真を撮ります。たくさん汗をかいて、ほっと笑顔になれる経験をみなさんと共有したいと思います。