波のように揺らぐ稀羽との距離感 ~稀羽すう1st single「Floating」~

先日、稀羽すうが1st singleとして「Floating」をリリースした。この記事ではその感想を書いていく。
…とはいえ、感想といってもどこから書いたらいいものか。とりあえず本題に入る前に、背景を整理しておこう。

作詞作曲はYACA IN DA HOUSE氏だが、自分にとっては「ワニのヤカ」の方が通りがいい。新進気鋭の―というにはもうだいぶいぶし銀の風合いも出てきている気がする、Vtuber界隈初期から活動している実力派HipHopミュージシャンだ。私自身はHipHopや氏の音楽を追っているわけではないものの、Vtuber界隈はやたらと長く見てきたため、その初期から高い実力を放ち音楽系Vtuberへのトラックメイカーとしても活躍していた氏のことは知っていたというわけだった。今回も曲を再生して5秒ほどで「そう言えばヤカさんはこういう曲を書く人だった」とそのテイストをふんわりながら思い出せたのは少し得だったかもしれない。

そして肝心のシンガーである稀羽すう。彼女については以前書いたnoteに言いたいことは概ね書いてあるが、ここで改めて示すなら2点挙げさせてもらおう。「脱力系」、そして「ちょっとだめな大人」である。
彼女は「だつりょく系シンガー」を名乗っている。脱力系といっても色々な意味に取れるが、彼女の場合は、ダウナー系ではかなさをはらんだ、掠れつつも透明感のある声(配信のコメントで「すりガラス」と表現されていたのが印象深い)、そしてそれを操る適度に肩の力の抜けた歌い方にその真意があると感じる。
歌声と双璧を成す彼女の魅力が人となりであるのだが、一言で表すと「ちょっとだめな大人」と言えると私は思う。ここでのポイントはあくまで「大人」だという点だ。常識やバランス感覚をわきまえた、「大人」としての安定感。その上で、少しだけだらしなく、すべてが順風満帆というわけでもない日々。そんな飾らない人となりが私達にとって等身大の親近感をおぼえさせる、というのが彼女の魅力だ。

以上を踏まえてそろそろ本題に入ろう。この度リリースされた稀羽すうの1st single「Floating」。音楽としての印象は、ヤカ氏の手に成るどことなくヴェイパー感もあるようなチルサウンドに、先述した稀羽すうの「脱力系」の歌声が非常に良く合い耳に馴染む。「稀羽すうの1st single」という肩書を取り払って聴いても、音楽作品として充分鑑賞に耐えうる完成度があると言えよう。

その上で、「稀羽すうの1st single」としての本質に迫りたい。当然注目すべきは歌詞である。そこには等身大で順風満帆ではない日々―「ちょっとだめな大人」としての“稀羽すう”が描かれているが、そこにもう一人出てくる登場人物、“君”がアクセントを加えていることに気がつく。“君”という存在が、凪の水面にただ浮かぶような彼女の日々を少しだけ波立たせているようだ。
こうした詞における“君”は、やはりファン(リスナー)に近似されているとみるのが一般的な解釈だろう。しかしそうだとすると、この歌詞での“稀羽すう”と“君”(≒リスナー)の距離感は、現実より少しだけ近い。
稀羽すうは等身大の存在だ。先述のnote記事の中で私は「アイドルとも恋人とも姉や妹とも違う、女友達と呼ぶのも憚られるような、「友人」のようなイメージ」と表した。しかしこの歌詞における距離感はどうだろう。彼女は“君”に対して「友達以上」の意識、関係性を持っているように描かれている。

この距離感がこの歌の本質であるように私は思う。つまり、現実のリスナーと稀羽すうの距離感は「友達」のようなものだが、この歌では「友達以上」というほんの少しだけ縮まった距離感(ただしもちろん、現実と同様「恋人」では決して無い)がある。

人との距離感というのはかっちり固まったものではなく、時間と共にある程度の幅の中で揺れ動くものだ。例えば同じ友達でも、少し疎遠になる時期もあれば頻繁に遊ぶ時期もある。そしてこの「Floating」は、そんな波のように揺らぎうるリスナーと稀羽すうとの距離感の中でも最大値的な「友達以上」の点にあるのではないか。この絶妙な距離感の描写によって、リスナーから見た稀羽すうの「友達」的な距離感というアイデンティティに収まる範囲を維持しながら、縮まった距離感でときめかせるという広義のラブソング的な演出を同時に実現しているのだ。

以上、メタ的な背景から「Floating」の本質に迫り解釈した。「稀羽すうの1st single」として、この仕上がりは非常に完成度が高く嬉しい。ヤカさん本当にありがとうございます。
持ち歌としてある意味王道的で理想的とも言える一曲を持った稀羽すう。彼女の「2nd」以降の楽曲が今から楽しみである。

2023/6/2 追記
「Floating」の配信が始まりました。ぜひ聞いてください。
https://linkco.re/m8DrV0ru

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