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気がつけばお寺の住職③

20年くらい前に聴いたお坊さんのお話。

・世の中は思い通りにならない

・本来思い通りにならないものを思い通りにしたいと思うから苦しみが生まれる

・思い通りにならないという現実を受け入れて、思い通りなるという理想を捨てれば、苦しみから解放される

非常に合理的で、なるほどと思いました。
そして、苦しみからの解放という点から、仏教に興味を持ちました。

こうして苦しみを定義してみると、苦しみを生み出している原因は、「自分の思い通りにしたい」という欲だと分かります。

なぜ、「自分の思い通りにしたい」という欲が生まれてくるのかというと、「他人より自分がかわいい、他人より自分を大切にしたい」という執着(我執)があるからです。

おそらく、「他人より自分がかわいい、他人より自分を大切にしたい」と公然と宣言する人は少ないと思います。

むしろ、「自分と同じように他人も大事」だと思っている人の方が多いかもしれません。

ただ、自分も含めて、多くの人は気づかないうちに、潜在意識のレベルで、「他人より自分がかわいい、他人より自分を大切にしたい」と思っているんだと思います。

そう思っている証拠こそが、生きている中で日々、感じている苦しみなんだと思います。

じゃあどうやって、この我執、「他人より自分がかわいい、他人より自分を大切にしたい」という潜在意識レベルの思いを克服するのかというと、仏教では、「そもそも執着している対象である我、自分って何なの?」という問いかけから始まります。

そして、よくよく、突き詰めて考えていけば、執着していた、かわいいと思っていた、だれよりも大切にしたかった我、自分なんていうものは無いんだ、どこにも存在しないんだという結論に至ります。

一見、トリッキーなようでいて、なかなかドラスティックな解決策だと思います。

宗慧

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