すずめの涙
「やぁ。今日も良い天気だ。」
岩田のおじいさんは、その日も田んぼで働いていました。
「ほれっ。ほれっ。さぁ、美味しい米に育っておくれよ。」
田んぼに生えた雑草を、一つ一つ丁寧に抜き取っていきます。
「おーい!いわんじい。まーだそんな面倒くさいことやっとるのけー。」
田んぼ横の道を、ピカピカの車で通りかかった、斉藤の旦那が話しかけてきました。
「おはようございます。斉藤の旦那。」
おじいさんは、その場で背筋を伸ばし、斉藤の旦那に向かって、深々と頭を下げました。
「まぁ、何か困った事があったら、すぐうちに来な。うちの田んぼで働かせてやるからな。ガッハッハッハッ。」
斉藤の旦那は、大声で笑いながら、ピカピカの車で走り去って行きました。
おじいさんは結局その日、一日懸かって、田んぼの雑草を全て抜き終わりました。
家に帰ると、息子の太郎と娘の花子が、夕飯の支度をして待っていました。
「父上。私は、東京の大学に行くことに決めました。東京の大学で、最新の農業を学んでこよう思います。」
「そうか、そうか。お前はわしに似んで頭がええからのう。」
おじいさんは、とても嬉しそうに笑って、味噌汁を一口すすりました。
「父上。どうして父上は農薬を使わないのですか。農薬を使えば、斉藤さんのところみたいに、もっと、楽して儲かるはずです。」
「わしは頭が悪いけぇ、虫だけを殺す薬っちゅうもんが、どうしても理解できんのじゃ。」
「農薬というものは、そういうものです。村の人にも笑われていますよ。「いわんじいのやり方は古臭い。」「いわんじいは馬鹿じゃ。」と。」
「わしらも虫も生きとるけぇのお。虫が葉を食べ、鳥が虫を食べる。わしらは鳥や米を食べ、やがて土に還る。そして、土がまた、葉を育てる。ありがたや。ありがたや。」
「なんやぁ、うちはたまに、おっ父が阿呆なのか、賢いのか、分からん時があるちゃ。」
娘の花子が、笑いながら、そう言いました。
あくる日も、またあくる日も、毎日、毎日、おじいさんは田んぼで朝から晩まで働きました。
そして秋が来て、立派な稲が育ちました。
ちゅんちゅん。ちゅんちゅん。
すずめ達が集まって来ました。
「ほーれ!おすそわけじゃ。来年もよろしくな。」
おじいさんは刈り取った稲から、すずめ達に米を分けてやりました。
「おい!見てみろよ。いわんじいの馬鹿が、ただでさえ少ない収穫を、すずめどもに与えてやがる。」
「あんだけ毎日働いて、取れた米が、たったあれっぽっちとわな。」
村人達は、口々に笑いました。
田んぼの収穫が終わり、おじいさんは今年も無事、美味しい米を作る事が出来ました。
「ありがたや。ありがたや。」
しかし、おじいさんの家の暮らしは、苦しいままでした。
次の年も、また次の年も、おじいさんは、毎日田んぼで働き、雑草を抜き、すずめにおすそわけをして、美味しい米を作りました。
ある年、おじいさんは、遂に寝込んで働けなくなってしまいました。
娘の花子は、2年前に呉服屋に嫁いでいましたが、おじいさんが寝込んでからは、毎日見舞いに来てくれました。
「花子、もうすぐ収穫の時期じゃな。」
「もう、今年は田んぼの事は忘れて、早く元気になってよ。」
「そうじゃな。早く元気になって、また、美味しい米を作らんとのう。」
しかし…、それから、おじいさんが元気になることはなく、ちょうど秋の収穫時期に、おじいさんは静かに眠りにつきました。
「父上…!私は父上と一緒に米が作りたかったのに…。」
東京から戻ってきた太郎は、田んぼの脇に座り込み、荒れ果てた田んぼを見つめて泣いていました。
ちゅんちゅん。ちゅんちゅん。
すずめが一匹、また一匹と、おじいさんの田んぼに集まって来ました。
「父上が亡くなったから、今年は、おすそわけは無いんだよ。」
ちゅんちゅん。ちゅんちゅん。
太郎がしばらく、集まって来たすずめ達を眺めていると、すずめ達の目から、ぽたり、ぽたりと何か落ちているのに気付きました。
「お前たち…。泣いてくれているのか。」
ちゅんちゅん。ちゅんちゅん。
太郎は田んぼの脇で、一晩中泣き通し、そして、いつのまにか眠ってしまいました。
ちゅんちゅん。ちゅんちゅん。
「にいにい!にいにい!」
あくる朝、妹の花子に起こされた太郎は、目の前に広がる光景に目を疑いました。
「父上…。ありがたや。ありがたや。」
目の前には、黄金色に輝く稲穂が、田んぼ一面にひろがっていました。
ちゅんちゅん。ちゅんちゅん。
田んぼに優しい風が吹き、稲穂がそよそよと笑うようにゆれました…。