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自分にとっての「あたりまえ」は他人にとっても「あたりまえ」?

こんにちは米良です。

新年度がはじまっていかがお過ごしでしょうか?働く環境が変わったり、新入社員が入ってきたりして、出会いが多い時期だと思います。

今回は「あたりまえ」について書いてみたいと思います。

あなたは「あたりまえ」と聞いて何を思い浮かべますか?
あたり前田のクラッカーですか?(←古い!?)

広辞苑で「あたりまえ」について調べてみると下記のように出てきます。

あたり‐まえ【当たり前】(名・形動) 

① 道理上、そうあるべきこと。当然。
「裏切られて怒るのは当たり前だ」
「人として当たり前のことをしただけだ」
「当たり前な話」

② 特に変わったところがないこと。普通。
「当たり前のやり方では成功しない」
「ごく当たり前の人」

出所:広辞苑


簡単に言うと「あたりまえ」とは、当然なこと、普通のこと、ですね。
その人にとって常識なことと言い換えてもよいでしょうか。

新年度ということもあり、最近、わたくし米良は新しい人に多く出会う機会がありました。そんな中で「あたりまえ」について考えさせられました。

それは、本当に人間は多様であるということ、すなわち、自分があたりまえと思っていることが他人にとってはあたりまえでは無いこともあるということです。


例えば、自分が苦手/嫌いな仕事に対する考え方で言うと、

わたくし米良にとっては、
①その仕事を自分の得意/好きなやり方でできないか
②その仕事が得意な誰かに頼めないか
③どうにかしてその仕事が降ってこない環境を作れないか
④どうしてもその仕事が耐えられなかったら辞めるか

とか色んなことを考えるのが「あたりまえ」です。

でも人によっては、
自分が苦手/嫌いな仕事も我慢して歯を食いしばって頑張るしかない
というのが「あたりまえ」な方もいらっしゃいます。

このような「あたりまえ」の違いは、どっちが良い/悪いという話ではないですが、とても興味深いなと思います。

この違いが生まれるのは、遺伝的な影響もあるのでしょうけど、遺伝だけではなく、それまでにその人が育った環境や仕事経験、その人の周りにいる人達の影響なんかもあるのだろうな、と感じています。

学びとしては、人それぞれで「あたりまえ」は異なっている可能性があるので、他人とコミュニケーションする時には、もしかしたら「あたりまえ」がズレているかも、ということを頭に置きながら丁寧にコミュニケーションするようにしたいと思いました。

今回、その人にとっての「あたりまえ」、言い換えると、その人にとっての常識が異なるのだなという気づきを書きましたが、調べてみると面白い名言があったので下記の名言を共有して終わります。

常識とは、18歳までに身に付けた偏見のコレクションである。
アルベルト・アインシュタイン


いかがだったでしょうか?
自分のあたりまえや、自分の常識を疑ってみることって大切ですね。
最後まで読んでいただきありがとうございます。

お幸せに!

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