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「ポンチ絵」の魔力に魅せられ、50の手習い。

感光紙と図形定規の思い出


未成年の県庁職員として、農業試験場に勤めていた頃は、資料の作成を頼まれると、上司が書いた下書きの紙を見ながら、B4版のトレーシングペーパーに、文字や数字、罫線の表、図形を書いていた。

使用するのは、2Bの芯を入れたシャープペンシル、消しゴム、直線定規、図形定規、そして、字消し板だ。

今でこそ、どこにでもあるようなコピー機が、当時の職場にはあるはずもなく、鉛筆書きのトレーシングペーパーを原稿にして、それに感光紙を重ねて、一枚一枚、卓上の機械に通して複写していた。

現像液のアンモニア臭、機械から漏れる紫色の光、操作の不具合でせっかくの原稿が破れてしまった時の絶望感、どれもが懐かしい、40年前の出来事だ。

紙をコピーするという概念はなく、あくまで原稿を作って、それを基にして、同じ内容が書かれたものを、一枚ずつ印刷していくイメージだった。

あの頃、図形定規や字消し板は大活躍し、丸い円や楕円、三角や四角など、いろんな図を書く時、そして微妙に修正したりするのに、とても重宝していたことを、今だによく覚えている。

みんなはコピーのことを、「青焼き」と呼んでいた。

必要に迫られて一太郎を操る


その後、しばらくして、世間でワープロが登場し、資料や文書の原稿をこのワープロで作成して、大きなゼロックス社の複写機で、大量にコピーすることが当たり前の時代がやってきた。

当時は、コピーすることを、「ゼロックスする」と言っていたのは、私の職場だけだったのだろうか。

今度、同年代の人たちに、こっそり聞いてみよう。

さて、私はと言えば、その後20年以上も、資料づくりとは無縁の仕事が続いていた。

ワープロは、1本指で何とか打つことができたけど、出始めのノートパソコンを貸与されても、メールとネット検索ぐらいしか使うことがなかった。

当然周りの職員の人たちは、ワード、一太郎、エクセル、パワーポイントなどを普通に使い、いろんな文書や資料、表計算のシートを作っていたのだけれど、私が置かれていたポジションが、それを見て、「ああだ、こうだ」と言う側だったので、敢えて、そんなパソコンソフトの使い方を学ぶ必要や、気力もないままに、日常の業務を淡々とこなしていた。

45歳の時、入庁以来初めて、人事異動の希望を出し、希望どおり、行政改革推進室に配置され、一担当として、いろんな行革の課題や、専任プロジェクトを任された時、初めて、PCと向き合い、自分で資料作りをしなければならない立場になってしまった。

「しまった。パソコンできないじゃん。」

と、心の中で後悔したことを、今も、うっすら覚えている。

そこからは、「ワープロソフト一太郎」一本槍。

必要に迫られ、ハウツー本を手元に置き、行ったり来たり、試行錯誤、悪戦苦闘を重ねながら、それこそいろんな資料や文書を、PCを使って作成した。

今もよく覚えているやりとりがある。

県全体の大まかな行政改革の内容と、今後のスケジュールを、一枚資料にまとめて、部長協議に臨んだ時のこと。

当然、A3版の紙の上には、一太郎で作成したポンチ絵と、説明文が並んでいた。

協議が始まり、いざ内容を説明しようとした矢先、部長がその資料を両手に持って仰け反り、それを眺めながら言った言葉が忘れられない。

「この資料誰が作ったの。どうやって作ったの。」

「一太郎で、私が作りました。」

「いやーっ。一太郎で。私も国から来て、これまで国とか県とか、いろんな資料見てきたけど、一太郎でこんな資料作れるんだ。初めて見たよ。へーっ、すごいなあ。」

と、いう会話から始まり、何だかきっちりした資料だということで、中身を丁寧に説明することなく、変更も宿題も何もなく、あっという間に大事なことが、原案どおりに決まってしまった。

 
ポンチ絵の魔力に魅せられて


それ以来、カラフルな図形、おしゃれなデザイン、わかりやすい説明、目立つフォントで彩られた、そんなポンチ絵を使って、仕事を進めることが多かった。

当時は部下の後ろに立って、手書きの下絵を見せながら、部下のパソコンのパワーポイントの画面を覗き込み。

「この図をもっと大きく」とか、「ここは色を変えて」「矢印を入れて」など、細かく指示しながら、資料を作らせていた。

わかりやすい説明をされたと思ってもらう、こちらの意図を理解してもらう、書かれている内容を信頼してもらう、そして合意を形成する、そんな時にポンチ絵は、とても役に立つ印象だ。

本当は、文字でビッシリ書いてある方が情報量も多く、正確性も高い場合も多いのだけれど、ポンチ絵の行間の曖昧さと危うさをうやむやにしながら、ポンチ絵を多用して、資料づくりをやっている。

その後転職して、私自身、ここ10年で、ワードもエクセルも、そしてパワーポイントも使えるようになった。

まさに、50の手習いだ。

部下もいる訳でなく、自分でやらないといけないので、当然と言えば当然だ。

最近は、レイアウトとか色使いにも凝るようになり、仕事場には、「デザインの組み方」とか、「伝わるデザインの基本」みたいな本が、いくつも並んでいる。

先日、ある自治体の方に、「ポンチ絵職人さん。ポンチ絵のパワポ、ひな形として使いたいので、適当に見繕って、いくつかちょうだい」って言われたので、快く差し上げた。

「ポンチ絵職人」と呼ばれたこと、悪い気はしていない。

では、また、今度。

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