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認知症について学びの記録 3−2

(画像参照元:日中介護交流プラットフォーム Vol.5 https://peatix.com/event/1847161)


これは、2021年4月7日に開かれたオンラインセミナー「日中介護交流プラットフォーム Vol.5」での、医師でもある佐々木淳さん(医療法人社団悠翔会理事長)http://www.yushoukai.jp、メディアでもよく取り上げられている加藤忠相さん(株式会社あおいけあ代表取締役)https://aoicare.co.jpの講演内容を個人的にまとめたものです。講演自体のテーマは「認知症ケア」についてです。
理由は、僕自身大きな学びで、これは記録として薄れないようにしっかり残しておきたいと思ったからです。そこにわざわざnoteの場を選んだのは、他人の目があることで、より正確にまとめようという意識が働くためと、あわよくば今回の学びを志を同じくする方々とシェアできればと思ったからです。
以下、先にすみませんという点を
・ここで記載の数値等の正確さは保証できません。(講演時の自分の走り書きのメモからのみまとめたため)
・その他、中身自体の根拠はここで僕自身が示すことは出来ません。
あくまでも、今回の学びの記録として残していますので、中身の正確さは一旦置いときます。僕が誤ってメモしたために、ここでの記載にも誤りがあるかも知れません。それを前提の上で。

ということで、以上を踏まえて、まとめます。もし、読んでいただけたら嬉しいです。

長いかもなので、佐々木淳さんと、加藤忠相さんで分けて書きます。ここでは加藤忠相さんを。



まず、ケアと聞くと世話する、面倒見ると考えてしまうが、それは大きな勘違いです。
ケアの日本語訳は、「気にかける」です。ケアの語源はラテン語で、畑を耕す。という意味です。
イコール、相手の持っている畑を耕して、より良くしてあげるのがケアと言えます。お世話や、面倒を見ることではありません。



日本の法律で定めたケア

日本の介護保険法(20年前に定められている)
※下記は正式な文言ではなく要するにこういうこと、と表現します。
・軽減または悪化の防止と提言されている。
・その人がその人らしく暮らせるように。

1963年-老人福祉法
当時はまだ日本の全人口のごく少数だった高齢者を、国の税金を使って見てあげましょうという発想でした。
ですから当時は、お年寄りの面倒を見ることだと明記されていました。
ただ時代とともに日本の高齢者の数は増えていきます。

2000年-介護保険スタート
高齢者の面倒を見るから、高齢者の自立支援へ変化します。
ただこの介護保険自体が未熟な制度なので走りながらより良く作っていこうと当時から考えていました。
(約3年スパンでこの介護保険の法改定がされているのもそのためなのか!と個人的にガッテンでした。)

2003年
今度は、その人の自立支援だけでなく、人間としての尊厳を守ろう。とはっきり明記されます。

2010年
地域包括ケア(地域で高齢者の方々を見よう)という発想にいよいよなります。
そして、地域共生という考え(子供も、障害者も、高齢者もみんないて当たり前)。



そもそも認知症とは?

認知症という病気と思われがちだが、認知症という病名は存在しません。
認知症とは症状のことです。くしゃみ、はなみず、発熱と同じです。
症状にはそうなる原因の病気があります。
アルツハイマー、レビー小体型認知症など、全部で70種類くらいの病気があり、それらの病気で脳細胞が死んでしまう症状が認知症です。

そして、この症状の持ち主が望まない環境、心理状態等で生じる行動が不安、幻覚、徘徊、暴言などです。コレ自体を認知症だと考えていますがこれは認知症ではありません。
望まない環境、心理状態等の症状です。むしろSOSが表示できているということはとても正常なことです。



では介護職はどこにアプローチするべきか?

まずここまでで認知症は3つに分解できます。
・病気(アルツハイマー、レビー小体型認知症など)
・症状(認知症)
・行動(幻覚、徘徊、暴言など)

介護とは医者ではないのでまず病気自体にはアプローチしません。では症状と行動どちらでしょう?

行動を抑えようとすると、拘束をしてしまいます。ベッドに縛り付けたり、移動を制限させたり、好きに生活が出来ません。

介護職は環境と心理状態を作り上げるプロです。
そんな介護職がまず取り掛かるべきは、その方の性格、素質、職歴等のその人にまつわる情報をよくよく深く知ることです。

病気や症状で困っている人が困らなくて済む環境を作るのがケアの仕事です。特に認知症は内面的なものです。イコール、その人自身が困ってさえいなければ、認知症かどうかなんて関係ない。ただのお年寄りと言えるのです。



あおいけあの実践

あおいけあでは、その人は認知症なのにまったく認知症に見えません。なぜか。その人が困っていないからです。
ご利用者様は、洗濯物をたたむという仕事をしてくれます。味噌を作ってもらいます。切れ味抜群の包丁を研いでもらいます。
これらはすべて認知症の方でもできることです。
そして、これら全ては、みんなで微笑ましい日常を作りたいからでは全くありません。脳の視床情報を良くするために行っている根拠あるケアです。

人間には4つの記憶があります。
・意味記憶:一般的な知識・情報についての記憶。名前を覚えるとか。
・エピソード記憶:個人が経験した出来事に関する記憶。昨日の夕食をどこで誰と何を食べたかというような記憶に相当する。
・手続き記憶:長期記憶の一種で、技能や手続き、ノウハウ(手続き的知識)を保持するもの。体で覚えている系。自転車は一回乗れると覚えているとかが当たる。
・呼び水(プライミング)記憶:前に入力された情報が、そのあとの情報に影響を与えるような記憶で、「入れ知恵記憶」とも呼ばれています。

呼び水記憶についてはこのリンクの例えが分かりやすかったので貼ってみます。http://www.touyouigaku.org/blog/2015/09/3-2791-1192459.html

アルツハイマーなどは、治療方法はまだ分かりませんが、脳がどの順番で悪くなるかは分かっています。
そして手続き記憶、呼び水記憶は破壊されにくいということが分かっています。あおいけあでは、ここにアプローチしたケアをしています。

ある方は、ホヤをさばけるのでさばいてもらいます。
漬物をつけてもらいます。
味噌を作ってもらいます。

例えば上記の事例ですが、食材をさばけるとは、その人なりの強みです。我々はホヤ自体見たこともない職員もいて、さばけません。
おばあちゃんが自分で食材を切る=アットホームと言いたいのではありません。その人にある手続き記憶をなるたけ沢山使ってもらうのが目的です。そして、これが我々のケアなのです。

あおいけあでは、高齢者の方に何かをしてあげようと思わないでください。何かを高齢者の方から教わってくださいと。実習生には伝えています。

どの方もみんな、要介護度もついている認知症の方ですが、お世話されている感がありません。それはなぜか。困っていないからです。

その方が困らないケアになるためにどうするか。その方の情報をとにかくたくさん集めることです。
そして、その情報をどんどんまとめます。そうするとADL(Activities of Daily Living日常生活動作)情報が増えます。そうやって本人のできることを把握して、どんどん本人にやってもらうケアをして、記憶を使ってもらうのです。

以上のケアを通して、実際に要介護度自体も軽くなっています。

ちなみに今、大学と連携してAIにその方の情報を記憶させることをしています。
そうすると、AIによって、介護職員が実際に現場で何をしたらいいかよく分かるようになります。
結果、介護職がケアするのか、家族がケアするのか、本人ができるようになるのか分かるようになってくるのです。
現時点でのその結論を言うと、我々介護職がすることは少なくなっています。



我々がすべきケアをもう一度考えよう

お年寄りに散歩に行こうと言うと断られます。ですが、地域の清掃活動に行こうというと喜んでいってくれます。
何歳になっても、認知症になっても、介護を受けたいとは思わないはずです。そうではなく、誰かの役に立ちたい、支えになりたいと思うのが人ではないでしょうか。そして、その思いを支えるのが介護職員の役割だと思います。

介護に大事なのは、ありがとうとどれだけ言われるかではなく、ありがとうとどれだけ自分たちが言えるかです。

ある事例で、駄菓子屋を営んでいたおばあちゃんのために駄菓子屋を施設内に作ったことがあります。なぜか。それがそのおばあちゃんへのケアになるからです。記憶を使うケアであり、役に立ちたい、支えになりたという思いを支えるケアです。
あおいけあでは、お年寄りを楽しませるイベントはしません。お年寄りが地域の方に楽しんでもらうイベントをします。そのサポートを我々でするのです。お年寄りは最後の最後まで生き字引です。

(生き字引、まさに社会に対する強い貢献分野と個人的に思います。)

ある時、それまではあった事業所の壁を取り払いました。その結果、今では、事業所にある道が小学生の通学路でありサラリーマンの通勤道になっています。何故したかと言うと、認知症を理解してくださいとこちらから伝え動くより、実際に見てもらったほうが理解できるからです。

事業所に柵がないと迷子になることはないか?と聞かれますが、ありません。
自分たちが居たくないような環境を作って、そこに入居させるからお年寄りもいなくなるのです。
・まず自分たちがいたいと思う環境を作りましょう。
・自分があてにされている、必要とされていると思えるケアをしましょう。

ちなみに、〇〇療法というものも、あおいけあではやっていません。
好きじゃない音楽、勉強させられても療法といえど、それは苦痛だからです。それは本人を困らせます。

あおいけあでのお年寄りを見て、認知症は嫌だ、年を取るのは嫌だとは思わないはずです。子供も認知症がいるとは思わないでしょう。2回同じこと言うなと思うだけです。なぜか。本人が困っていないからです。



介護の社会的副産物としての価値

介護現場は副産物としてソーシャル・キャピタル(信頼や規範、ネットワークなど、社会や地域コミュニティにおける人々の相互関係や結びつきを支える仕組みの重要性を説く考え方。)、子どもたちのディープラーニングの現場となります。
幸福感をお互い感じられるし、多様性を感じられる。体験を通した学びにもなるからです。

日本は分断されている社会です。
小学校でも障害者は別のクラスに分けられ、学力でクラス分けされます。
仕事でも専門性で分けられます。
そういう環境で育つと、自分に似ない人をいじめる、正そうとしてしまう。

介護の世界だと、家族でなくても多様性を感じられる環境を作れるのです。非常に重要な学びの場になるだろうと思います。



まとめ

最初日本での介護の考え方は、高齢者の面倒を見ることでした。
それが時代とともに介護保険法の変化で、例えばお茶を入れることではなく、お茶を自分で入れられる環境のデザイン。
今は、地域の中で自分らしく生活できる場のデザイン。
そのプラットフォームの確立が介護の目的になっています。

我々の仕事は、転倒させないことでも、風邪を引かせないことでもありません。
医療も健康になることが目的ではないはずです。
地域社会の中で、質の高い生活をおくれることが目的です。
そんなケアを実現していきましょう。


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