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「はじめての出版⑨〜『文章イップス』だったわたくし(後編)」

とりあえず…いったんリセットしよう…。

意気揚々と執筆をスタートしたものの、あっさり「文章イップス」に陥った僕は散々悩んだ末に、いったん書く事自体をやめてみる事にしました。

「そう、これは勇気ある一時撤退なのだ」

映画「ダンケルク」などの戦争映画を観れば分かるように、撤退戦は侵攻戦よりも遥かに難しく、いかに最小の被害に留めて作戦を完遂するかが問われます。

決めたからには速やかに実行しなければなりません。
まず、それまで机の壁に貼っていた書籍のコンセプトやら、スケジュール表やら、自分で書いたスローガンやらを全部剥がしてしまい込みます。

さらに、資料として山積みされていた国語の教科書や哲学書、歴史書なんかも本棚に戻します。図書館で借りていた分厚い一次資料たちもいったん全て返却します。

そして、僕は「執筆なき日常」に戻っていきました。

担当のインテリ(風)編集者は、

「まー、1ヶ月くらいの休筆でしたら、初めての著者さんにはよくある事です。本来的には私にわざわざ言っていただかなくてもいいレベルですが、気持ちの上で区切りが必要という事でしたら承りました。また書き始めたらご連絡ください。原稿、お待ちしております」

とニヤニヤしながら(メールなので想像)連絡をくれました。

さて、1ヶ月と定めて始まったこの休筆期間。結論から言いますと3ヶ月になってしまいました。見事にというか、どこか自分でも予想していた通り、今度は「再開するのが億劫病」にかかってしまったのです。

スケジュールはざっくり切ってあるものの、かの担当編集者はとにかく一切原稿の催促をして来ないため、1ヶ月を過ぎ、2ヶ月を過ぎ、どんどん無為に時が過ぎてしまいました。

今思えば休筆期間と決めたわりには、常に喉元に引っかかった骨のように、

「はやく原稿を書かなきゃ…」

という焦りがありました。やはり、一度始まったプロジェクトを完全に忘れる事などできなかったのです。

書かなきゃ…しかし、再開しようにも腰が引けて仕方ない。

そんな非常に精神衛生上良くない3ヶ月が過ぎたころでした。
とある昼下がり、僕は上野の美術展からの帰り道でした。気分を変え、絵画からのインスパイアを期待して行ったのですが、日本の美術館にありがちな行列、行列の混雑に辟易してすっかり疲れて果てていました。
電車の車窓からぼんやり外を眺めていました。ふと視線を自分の前の席に戻すと、小さな幼稚園くらいの女の子が母親の膝の上で熱心に絵本を読んでいました。女の子は、母親にその本の内容を一生懸命たどたどしい口調で説明していました。母親が笑うと、女の子も嬉しそうにはにかみました。

その時、唐突に、

「あ。書ける気がする」

と心の中で呟いてしまったのです。
その瞬間、何が起きたのかわかりませんでしたが、
急いで自宅に帰り、すぐPCをひらきました。キーを打ち始めると文章になっていない、内容もまるでまとまってはいないけれど、確実に意味のある、つなげていく事ができるであろう単語や文節たちがあとからあとから溢れてきました。それらを解放するように書き連ね、みるみるうちに数章分の切り口となる言葉が溜まっていく光景を俯瞰して眺めながら、

休筆期間の終わり。

を実感したのです。

今になって思えば、あの全く原稿を書かずに、しかし、
執筆のことが頭から離れなかった3ヶ月は、書き手にとって
「産みの苦しみの通過儀礼」だったのではないかと思っています。

ただおそらく、離れてしまったことで、楽になってしまい、
再開する勇気が湧くことなく戻って来れなくなった人もたくさんいるのではないでしょうか。

いつだって、分水嶺はすぐそばに存在するのです。

あの電車の中でみた光景。
そこで出会ったのは、小さな女の子の姿を借りた、
「純粋に本を楽しむ事の啓示」だったのではないでしょうか。いつしか自分が本を書く上で、自分の心持ちや使命感を大事にするあまり、読み手の楽しそうな姿を想像できていなかったのかもしれません。

執筆は孤独な作業だと書きました。
ですが、一人で書いたものを一人で読むわけではないのです。
さざ波のように自分の書いたものが、読み手に届き、感情を揺さぶり、
人生の貴重な数時間をこの本との出会い割いてくれた尊さを想像できた時、
まとわりついていた孤独は消え、大いなる共同作業の中にいることを悟れたのでした。

さっそく、担当編集者に電話をしました。

「戻りました、もう大丈夫です。執筆、再開します、ずいぶん予定から遅れてしまいましたが巻いていきますね」

「勝浦さん、お帰りなさい!予定よりちょっとかかりましたね(ニヤリ)原稿、お待ちしております」

いつもよりやや明るい声で彼は答えました。
再び船が錨を上げ、進み出した瞬間でした。

それからすぐに彼との別れがやって来るとは、この時私は全く想像していませんでした。

<つづく>

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