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本を読んで旅に出(た気分にな)る

  かなり前に本棚、いや正しくは、積読の本の間に仲間入りしていた、女優片桐はいりさんの「わたしのマトカ」。どっか行きたいのにどこにも行けない!とAmazonの密林の中をかき分けかき分けたどり着いた、「フィンランドでの日々について書かれたエッセイ」という、その響きに惹かれて購入ボタンを押した本。片桐はいりさんが出演されていた映画「かもめ食堂」を以前に見たことがあったのも、読んでみたいなと思ったきっかけ。起承転結でハラハラするうねりもなく、独特の間がとても多かったこの映画を見終わった後は、ちょっと大人になったような気分も感じた。

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 本のはじめの方は、ずいぶん前に読んでいたこともあってあまり覚えていないし、現実逃避という消極的な読書の仕方をしていたので、もう一回読み直し味わいたいと思う。

 どんどんと惹きこまれて、ページをめくる手が止まらなかったのは、終わりのほうフィンランドから日本に帰ってくるところ、日本に帰ってきてからのお話。うなずきの連続だった。

「外国人の目になって、周りを見てみる。すると、いろんなことが新しく思えた。今までしんどかったこともちょっと笑えてみたりもする。」

「日本のカメラマンは、なぜいつも怒っているのだろう。なぜみんな、苦虫を噛み潰したみたいな顔で働くんだろう。どうして照明さんは、ため口で話す人が多いんだろう。助監督の靴下は、どうしていつも臭いんだろう。」
(P176)

 みんながみんな、苦虫を噛み潰したみたいな顔で働いているわけではない。労働環境を憂うとかそういうことではなくて、いつも見ている顔も、ちょっと引いてみたり、斜め下から眺めたりすると、愉快なことに見えてくるんだということだと思う。半自動的に研究室に向かったり、研究詰んでるなぁとパソコンをカタカタしたり(画面半分では野球を見ていたり)、自分自身はもう悪い意味で慣れてしまっているし、つまらなく思う。そんな一連の情景さえも”外国人”の目からみると多分ちょっと笑えるはず。こういう、頭をハッと引くスイッチが、最近は自分の周りになかったように思う。

「雨のそぼ降る真夜中、カラスが眠るのを見た。ベランダから手を伸ばせば、尾に触れられそうな電線の上で、秋の雨にうたれ、顔をうずめ、身じろぎひとつせず夜に溶けていた。」(p177)

 見開きのページに私の心をくすぐる言葉が続いた。カラスに対して、こんな情感あふれる言葉を紡ぐことがなぜできるのか。小説の中なら、情景描写でありそうな一文。でもこれはエッセイの中にある一文。きっと片桐さんが夜、窓際で、もしくは雨降る中そっとベランダに出て、この様子を目にしているのだろう。カラスが眠る、夜に溶ける。そんな風に周りを見ることができたら、言葉にすることができたら…。この一文を締めくくる、素敵な言葉も思いつくことができたかもしれない。

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 学部生のころ、東南アジアの都市によくいった。その中でも、回数は3回、合計でも一週間くらいしか滞在していないラオスの空気感がすごく好きだった。時の流れ、人の大らかさ、こういうものが存在するんだと不思議な感覚だった。川沿いのご飯を食べるところ(レストランという洒落た感じではない)で、ご飯を食べる。次の予定もある。でも案内役の方は、ゆっくりでいいですよ、もっと食べなくていいですか?と次々に料理を出してくれる。食べながら、ぼーっと川を眺めていても、「気持ちがいいですよね」と一緒にぼーっと川を眺めてくれる。ささいなことだけど、ぼーっとしながら心がじんわり温かくなる。
 もう次いつ行くか分からないという3回目の滞在の後、首都ビエンチャンの空港から見えたきれいな夕焼けは、ほんとうに日本に帰りたくないと気持ちで心をいっぱいにした。泣きそうになるくらい、ほんとうに。
 鎌倉で都会の喧騒から離れて…とは全くちがう。喧騒から離れた感じというのは、こういうことなんだよと泣きそうになりながら思った。


 ラオスを訪れたころからだいぶ荒んでしまった心に、淡くなっていく記憶に、片桐はいりさんの「わたしのマトカ」は少し火を灯してくれたと思う。大げさかもしれないが、そのくらいの感覚を持てたら、また明日からも頑張れる、と思う。頑張ろう。またいつか絶対旅に出られるし。